見て歩く日本の城と史跡ー三重県亀山市

本丸が徳川将軍家の宿舎だった亀山城(本丸町) 

亀山は交通の要衝で、上洛する徳川家康、秀忠、家光などが
本丸を宿舎として利用したので、城主は居館を二の丸において
いました。交通の要衝だったために、城主がたびたび変わりま
したが、石川氏が城主となって幕末を迎えました。

明治になって、廃城令により建物のほとんどが取り壊されまし
たが、多聞櫓・石垣・堀・土塁など一部が残っています。多聞櫓
は、地震により一部壊れたり、放火されてりし、石垣も地震に
より崩れたりしましたが、現在は復元されています。
                 (17/09/01  訪問)


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徳川氏の宿舎として使われた本丸御殿跡

 
かつての外堀

 
 橋から見るかつての外堀

  現在は しょうぶ園となっているかつての外堀
 
亀山城関見櫓跡
『西出丸の二重櫓で、亀山城西端の関町方面を望見する位置にあることから、関見櫓と呼ばれた。』

 
亀山城西出丸跡

 
 
亀山神社

 
亀山神社神官屋敷跡




 
亀山城楠門跡
『二之丸から本丸へ通じる桝形門で、櫓門は安政元年(1854)の大地震で倒壊した。』

 
下から見上げる多聞櫓


 
     かつての西之丸(現亀山中学校)

 
復元された多聞櫓

 
亀山城黒門跡
『西之丸から市ヶ坂に出る門で、享保20年(1735)消失するまでは市ヶ坂門とも呼ばれた。』

 
かつての土塁か?

 
亀山城三重櫓跡
『寛永18年(1641)に当時の城主本多俊次が天守閣の代わりとして築いた亀山城で唯一の三層櫓であった。』









 
 帯曲輪から上る石段   かつての外堀


姫垣外苑

亀山城太鼓跡門
『三之丸から二之丸へ通じる門で、隣接する太鼓櫓で太鼓を打ち時刻を知らせたことから、太鼓門と呼ばれた。』

 
亀山城東三之丸跡 


この十字路付近に大手門がありました。

奥まったところに『大手門』の碑
史跡大手門跡
『亀山城の正門のあった所である。大手門は丈余(3m)の石垣の上に間口10間(18m)の門長屋があり
周囲は白壁をぬり壮大である。廃藩後まもなく撤去された。

亀山城主の移り変わり



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