水門総合管理所 |
水門統合管理所の概要 |
管理所は、かつて桑名城の隅櫓の一つである蟠龍櫓が建っていたところに位置するため、建物の設計あたってこの櫓の復元 |
をめざすこととなりました。伊勢湾台風で当初の石垣が失われているなど、復元のための歴史資料は限られましたが、絵図など |
に描かれた櫓の姿や、同時代の類例を参考に往時の姿になるべく近づけるよう推定復元しました。4間X6間と比較的規模の大 |
きい二層櫓で、元禄14年(1701)に天守が消失して以降桑名城と川口のまち桑名を象徴する櫓であったと伝えられています。 |
蟠龍櫓について |
桑名城には、元禄大火後に再建された時点で、51の櫓があったと記録されています。この中でも、川口にある七里渡しに面し |
て建てられていた蟠龍櫓は、東海道を行き交う人々が必ず目にする桑名のシンボルでした。歌川広重の有名な浮世絵「東海道 |
53次」でも、海上の名城と謳われた桑名を表すためにこの櫓を象徴的に描いています。 |
蟠龍櫓がいつ建てられたかは定かではありませんが、現在知られているうちで最も古いとされる正保年間(1644〜48)作成 |
の絵図にも既にその姿が描かれています。蟠龍の名が文献に初めて表われるのは、享保2年(1802)刊の「久波奈名所図鑑」 |
で七里渡付近の様子を描いた場面です。この絵では、単層入母屋造の櫓の上に、「蟠龍瓦」と書かれており、櫓の形はともかく、 |
この瓦の存在が人々に広く知られていたことを思わせます。 |
「蟠龍」とは、天に昇る前のうずくまった状態の龍のことです。龍は水を司る聖獣として中国では寺院や廟の装飾モチーフとして |
広く用いられています。蟠龍櫓についても航海の守護神としてここに据えられたものと考えられています。 |
文化3年(1806)刊の「絵本名物時雨蛤」という書物に「臥龍の瓦は当御城門乾櫓の上にあり、この瓦名作にして龍影水にうつ |
る。ゆへに、海魚往ずといへり。」とあって、桑名の名物の一つにこの瓦を挙げています。 |