由 緒 |
長島一向一揆とは、浄土真宗の御本山石山本願寺に対し織田信長が加えた弾圧に対し、石山本願寺 |
の激に応じた長島門徒の願證寺を中心として、愛山護法の為に織田信長の軍勢と永禄10年より元亀天正年 |
間にわたって8年間戦った闘争であります。長島門徒に対する信長の最後の総攻撃は、天正2年(1574) |
6月13日より4ヶ月にわたり、長島門徒衆の抵抗は壮烈を極めましたが、9月29日全滅の悲運にあい2万人 |
の老若男女が生きながら焼き殺されるという、言語に絶した残忍な大虐殺が行われたのであります。 |
〇殺三城男女2万人臭聞数里という頼山陽の日本外史の一節は、地獄絵さながらの長島門徒衆全滅の |
惨状を伝えています。今度杉江願證寺の寺縁を継ぐ叉木願證寺に於いて門徒衆の総意により長島一向一揆 |
揆400年追悼法要を勤修するに当り、往時の惨禍を偲び、愛山護法の聖業を永久に伝える為に殉教の碑を |
建立し祖先の霊に合掌するものであります。 |