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面 積 |
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287平方メートル |
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指 定 |
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昭和31年12月3日 |
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所在地 |
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松阪市松ケ島町城ノ腹 |
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松ヶ島はかつては保曽久美(細汲、細首とも書く)といい、参宮古道に沿い、三渡川の河口を控え |
た海陸交通の要衝であった。 |
天正8年(1580)織田信雄(信長の次男)は、南伊勢統治の居城を田丸城(度会郡玉城町)から |
この地に移し、松ヶ島城と称し、五層の天守がそびえていたという。その後、信雄の家臣津川義冬、 |
滝川雄利を経て、同12年豊臣秀吉の武将蒲生氏郷が12万5千石の大名として入城した。 |
ところが氏郷は四五六森に着目して築城し、新城下松坂に移り、本城下の町人や寺社はすべて |
強制移住させられて松ヶ島は瞬時にしてもとの一漁村に変容した。 |
古図や検地帳には天守跡・堀之内・丸之内・城之内・南之内・日之丸といった城郭名や、殿町・ |
本町・西町・紙屋町・ほうく町・鍛冶町という町名がみえ、往時の繁栄をしのばせる。 |
ここに残る指定地は俗に天守山と呼ばれ、付近から金箔をおした古瓦片などが出土しており、 |
本丸天守跡と考えられる。 |
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