見て歩く日本の城と史跡ー三重県志摩市

九鬼氏初代が築城した波切九鬼城(大王町波切字城山)

九鬼氏初代が築城した波切九鬼城は、『八幡さん公園』の辺りだと言われていますが、
大王崎灯台のある場所も、城址の一部だとも言われています。
実際に行ってみると、すくなくとも両方を含む部分が城だと思えました。
『八幡さん公園』は、工事中で、上に上がれないのが残念でした。

九鬼嘉隆が鳥羽城を築き、移転したときに、廃城になったそうです。
                     (18/06/27 訪問)

(現地案内板より)

(現地でいただいたパンフレットより  以下も同じです。)

八幡さん公園遠景

仙遊寺から波切城へ

この石垣は、波切城の遺跡か?
美しい海を見ながら大王崎灯台へ

  八幡さん公園は工事中でした。

 
    工事中の階段

 
    八幡さん公園更なる遠景

 九鬼三代目隆次が菩提寺として建立した仙遊寺(大王町波切6)

九鬼氏の菩提寺栓遊寺には、九鬼氏五輪塔があるとのことでした。
それらしきものはありましたが、これっ!と特定できる標識はありませんでした。
九鬼氏のお墓の近くにあった案内板が読みにくかったので帰宅後読んでみたのが
下にあります。意外なことが書いてありました。
     (18/06/27 訪問)  

波切九鬼氏
16世紀初頭、尾鷲市九鬼の城主隆長の弟隆良が波切郷士の川面道三を頼って波切にやってきて道三
の娘婿となり、波切村の主に推○されました。そして大王崎灯台の辺りに城を築き、次第に勢力を伸ばし
ました。三代目隆次・四代目奏隆は、加茂田城にまで新出しました。そして嘉隆のときには織田信長・豊
臣秀吉に従い志摩を手中に収め、鳥羽城を構築し九鬼水軍として名を広めました。しかしこの嘉隆、出
自不詳。寛政系譜では、波切九鬼の五代目定隆子として系図を作ったので世間ではそれを用いており
ますが、史実ではありません。当仙遊寺は隆次が開基であり、五基の五輪塔安置されています。その
中で、隆次と奏隆の塔には、法名命日が明記されています。
(現地案内板より)


九鬼氏のお墓

九鬼水軍五輪塔
仙遊寺の寺紋   仙遊寺から見る大王崎灯台



日本の城と史跡・目次][年表