見て歩く日本の城と史跡ー三重県鳥羽市

九鬼水軍の総帥・九鬼嘉隆が築城した鳥羽城(鳥羽3丁目1−1)

九鬼水軍・九鬼嘉隆が築いた鳥羽城は、今まで見たことがない『海城』で、
長崎にあった『出島』を大きくしたような感じの城です。
現在は埋め立てられて、『海城』の雰囲気は少なくなりましたが、それでも
本丸から答志島を眺めていると、戦国時代最強の水軍と言われた九鬼氏に思いが及びます。
鳥羽城は、江戸時代を通じて使われた城なので、石垣などが、よく保存されています。

                                 (18/06/26 訪問

[九鬼嘉隆・鳥羽城の歴史]についてはこちら

(現地案内板より  以下も同じです。)
現地でいただいたパンフレットの画像も使っています。


 
 
 

答志島
九鬼嘉隆が自刃した刀を洗ったとされる血洗い池
九鬼嘉隆の胴塚
九鬼嘉隆の首塚



 
 
 
 
 
 

発掘調査で出土した石列



絵図に描かれた天守(中央)
発掘調査により現れた石垣

発掘調査の後埋め戻した跡か? 


 南西側の石垣にも水抜きが

   南東側の水抜きは草に覆われて
 
旧鳥羽小学校

 


 
 
 
家老屋敷跡の幼稚園は、廃園になっていました。

   城山公園へ更に登ります。


 
 
 
二の丸    崖下が三の丸

 
相橋方向へ    

城側から見た相橋門の絵

 
 
 
復元された相橋    江戸時代の石積みか?

 
妙慶川

     
 



城山公園へ 江戸時代の石垣か?

 かつて九鬼家の居城だった九鬼岩倉神社(岩倉町1107−1)

現地でいただいた『鳥羽たびガイド』に九鬼岩倉神社が、
かつて九鬼家の居城『田城』だったとあったので行ってみました。

現地には案内板もなく、かつて城だった面影はありません。
でも、巾5m
程の尾根にどのように城があったのか、興味深いです。
この地が九鬼家のものであった名残は、二ヶ所に残っていました。
                           (18/06/26 訪問

『鳥羽たびガイド』より

車から見た九鬼穴倉神社

狭い尾根の向こうに岩倉神社

階段の上から見下ろす鳥居
 
 
 
『九鬼』の名前があります。

   神社の脇と裏側
 
    九鬼家の家紋



日本の城と史跡・目次][年表