見て歩く日本の城と史跡ー三重県津市(3−3)

お市の方と浅井3姉妹が7年暮らした伊勢上野城(河芸町上野)
伊勢・長野氏の養子となっていた織田信長の弟信包は長野氏の本城には住まず、
安濃津城に住むことを考えました。

伊勢・上野城は、安濃津城を改築・修理するまでの仮城として、信包が築いた城です。
天正元年9月1日(1573)小谷城の戦いで浅井長政とその一族が滅びました。
浅井長政の妻お市の方とその3人の娘は織田信長のもとに送り届けられましたが、
天正2年(1574)織田信包のいる伊勢上野城に入りました。
天正8年(1580)安濃津城が完成して、安濃津城に移るまで、
4人はここ伊勢上野城で過ごしました。(諸説あるようです。)
織田信包たちが安濃津城に移った後は、伊勢上野城は廃城となり、
後に津(安濃津)藩主、藤堂高虎により取り壊されました。(諸説あるようです。)

NHK大河ドラマ『江』で、一躍脚光を浴びた伊勢上野城は、
本丸とその周囲の土塁、二の丸などがよく残っています。    (13/ 9/ 4 訪問)

上野城の構造
 上野城は、展望台の建つ櫓台○の場所を最高所として南東に向かって階段状に郭が連なり、北東側の少し離れた場所にも郭が展開しています。
 ○丘陵のの中で最も高い場所にあたる本丸の平坦地は45mX30mの規模があり、北西隅には土壇上の高まりがあってこれが天守と考えられて
います。公園化に伴って整備された相撲場の南側には15mほどの高さのある土塁が巡っていて、その南側の谷との標高さは5m以上になります。
土塁の上に立つと城の中枢部としての本丸の守りが堅固である様子がよくわかります。
 二の丸は、本丸の南東側にある平坦地です。現在フィールドアスレチックの遊具が整備されており、かつての城の面影はありませんが、本丸と同
じぐらいの広さがあります。
 現在の展望所や○○○を建てる前に行われた発掘調査では建物跡は見つかっていませんが、櫓台の周囲には洪水のために掘られた溝が確認
され、その○が発掘されたままの状態で保存されています。
 遺物は、建物の屋根瓦などがみつかっていますが、全体的に出土量は少なく、本丸にあった瓦葺きの建物もさほど多くなかったと考えられます。
(現地案内板より  以下も同じです。)


伊勢上野城の遠景

本丸出土の軒丸瓦

本丸

本丸を取り巻く土塁跡
排水のために掘られた溝

本丸奥の土塁跡
かつての天守台跡

現在の天守台
土塁右本丸  左二の丸

二の丸
二の丸の先端から見る伊勢湾(曇っていましたけれど・・・・。)



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