見て歩く日本の城と史跡ー三重県津市(4−1)久居町

藤堂藩の支藩・久居藩の陣屋跡(久居西鷹跡町)

江戸時代、後継者がない藩は取り潰しの憂き目に会う心配がありました。
藤堂藩は、藩祖高虎の孫を当主にすえる支藩の創設を幕府に認めさせました。
宗家に後継ぎがない場合、久居藩から養子を迎えることにより幕末まで藤堂藩は続いたのです。
久居藩は、藩と認められても城は持たず陣屋だったというので、その陣屋跡を見に行ったのですが、
残念なことに史跡は何も残っていませんでした。
しかし、藩祖の名前を持つ公園として陣屋の一部が残っていました。 (17/08/31  訪問)

(現地案内板より  以下も同じです。)



 


以下は津市役所に展示されているポスターから転載させていただきました。  (19/11/19)




小牧長久手の戦いで織田軍として戦って敗れた木造氏の戸木城跡(戸木町)

案内板にある天正12年の戦いというと『小牧長久手の戦い』のことでしょう。
小牧長久手の戦いのとき、織田信雄は戸木城にいたと、あるテレビ番組で見ました。
ウィキペディアによると『9月15日、戸木城に篭っていた木造具政ら織田軍が
蒲生氏郷ら羽柴軍と合戦を行い、羽柴軍が勝利する。』とあります。
これで、納得がいきました。

織田軍として戦った伊勢内の城が相次いで敗れて、
信雄は、羽柴軍の和議の申し入れに応じたとのことです。


城跡は、戸木小学校を建設するために大きく削られたので、城跡の碑は、
実際の城跡より低い戸木小学校の敷地内にあります。
ここら辺りが戸木城だったのかな?と思える場所に登って見ましたが、
個人のお宅だと分かって、写真を1枚撮らせていただいて、戻りました。

                           (19/11/19 訪問)

(現地案内板より)

戸木小学校の敷地にある案内板

左:戸木小学校  右:戸木城跡
崖の上:この辺りが戸木城跡か? 途中の風早池に桜が咲いていました。



日本の城と史跡・目次][年表