| 荒砥城跡 | 
                              
                              
                                | 荒砥城は中世戦国期、地域の豪族村上氏史族の山田氏 | 
                              
                              
                                | による16世紀頃築城になる要害、山城である。しかし○○ | 
                              
                              
                                | 山城と同様にしてその出自は明確でない。幾たびかの攻防 | 
                              
                              
                                | 記録も残されているが、戦国期末には山田氏から武田方屋 | 
                              
                              
                                | 氏のもの、上杉方○番衆による交代管理にもなったりした。 | 
                              
                              
                                | 天文11年(1583)4月戦国のならいか松代の上杉方海津 | 
                              
                              
                                | 城副将屋代秀正(勝永)は徳川方内通が発覚するや、この | 
                              
                              
                                | 山城に籠城の上、最後の抵抗を試みている。だがしかし北 | 
                              
                              
                                | 信濃諸将の攻撃を受けて週日にして落城した。 | 
                              
                              
                                |   その後は廃城となり今日に至っている。 | 
                              
                              
                                | 平成7年3月吉日            森嶋稔撰    |