見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県茅野市(1−1)

金山彦命を祀る金山権現(金沢)

茅野市矢ノ口交差点に 『権現の森』があります。
この辺りはかつての甲州街道の『青柳宿』でした。
相次ぐ宮川の氾濫と火事による消失で、『青柳宿』は、『金沢宿』に移転しました。
これらは武田信玄のみならず
徳川家康・秀忠の後のお話です。

権現の森に祭られている石祠は、
承応3年(1654)の建立だとされていますが
金山権現の祭神が、
金山彦命で山の神であることから、
信玄が開発した金鶏金山との関係が
考えられて、信玄の時代には
すでにあったかもしれないと
考えられているんだそうです。
           (09/ 9/22 訪問)
右手に見える権現の森

石祠に続く参道 金山権現の石祠

金鶏金山(金沢)

国道20号線を諏訪方向に進み、右手に青柳駅を見たあとすぐ左の道を登ります。
この道は、今は舗装のない林道ですが、かつては金沢峠を越えて伊那に抜ける重要な街道でした。
金沢峠を越えて、北西方向に舗装道路を進むと杖突峠に出ます。

話は元に戻り、金沢峠を目指して登っていくと、分岐があり、左千軒平の標識があります。
標識はありませんが、右が金沢峠です。


左に進むと右手に『信玄のつるし堀跡』の案内板があり、少し登っていくと、いくつかのつるし堀(露天掘り)が見えます。
大小200余りの採掘跡があるそうですが、上の左の写真は、その1例です。

露天掘りをして深くなったとき、鉱石をつるし上げたところから、つるし掘の名があるとのこと。

つるし堀の案内板を過ぎて更に進むと、茅野市唯一の高層湿原・千軒平(標高1400m)に着きます。
千軒平付近は、金の鉱脈が鶏の形で埋蔵されているという伝承のある金鉱です。
永禄のころ(1558年)、信玄公が甲州金24万両を掘ったと言われています。
千軒平とは坑夫の小屋がたくさんあったことから名づけられたそうです。
発掘は、昭和まで続いたとのことで、色々な史跡を見ることができるのですが、
6月は、草深く、草の少ない季節を改めようと思いました。                   (06/ 6/24 訪問)

信玄時代のつるし掘跡 千軒平の湿原



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