伝明智光秀供養塔(宮川) |
|
神長官守矢資料館の裏手に、明智光秀供養塔の伝承がある小さな塔があります。
織田信長が甲斐に侵攻したとき、諏訪大社本宮を焼き払ったので、諏訪の人々は信長を恨んでいました。
後、本能寺の変で光秀が信長を討ったものの、十数日後には光秀も羽柴秀吉に討たれてしまいました。
光秀の死を嘆いた諏訪の人々が供養塔を建てたと言われています。 (14/ 8/ 2 訪問) |
|
諏訪大社上社前宮(宮川2030) |
干沢城と諏訪大社前宮の位置関係
(前宮内案内板より) |
上社前宮は、かつて諏訪大社大祝の居館だったそうです。
|
井上靖小説『風林火山』の舞台『宮川部落』(宮川4694−3付近) |
茅野市の名前は、諏訪氏の重臣『千野氏』に由来しているそうです。
宮川も『風林火山』の舞台になったは当然のことですね。
(07/ 5/ 5 訪問) |
|
武田と高遠の領地の境界となった宮川(宮川) |
安国禅寺近くの宮川。川の名前にも地名にもなっています。
宮川は、諏訪湖(画面前方)に水が流れこんでいます。
武田信玄が、宮川より西(画面右)を武田領、東(画面左)を高遠領にすると一方的に決めたので、
高遠頼継は不満に思い、兵を挙げたと言われています。 (08/ 1/ 4 訪問) |
|
御柱休めの御柱屋敷(宮川3791) |
たまたま通りがかったとき、チラッと見た案内板らしきものあり。
史跡の案内かもしれないと戻って、読んでみました。
その後、Google map で調べたところ、御柱屋敷の意味が
良く分かりました。次の御柱祭には行って見たいと思いました。
(23/12/15 訪問) |
|