見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県茅野市(1−5)

上原城(諏訪総領家の居城)跡(ちの)

茅野市上原にある上原城は、諏訪総領家の最後の当主諏訪頼重の居城でした。
天文11年(1542年)7月、武田晴信の攻撃を受けた頼重は、桑原城で晴信を迎え撃つべく上原城に火をかけ退却しました。
結局、頼重は桑原城で降伏し、甲府に送られ自刃しました。

諏訪頼重は、上原城に住んでいたのではなくて、城より低い位置にある館で日常は過ごしていました。
その諏訪氏館跡に諏訪郡代となった板垣信方が居を構え政務をとったので、その後、諏訪氏館跡は板垣平と呼ばれました。

現在の板垣平は『上原城諏訪氏館跡』の碑が建っていて、その向こうは畑になっています。
その畑には、勝手な推量ですが、板垣館の礎石ではないかと思われる石が散らばっていました。


板垣平から上原城跡までは、かなり急傾斜の近道を徒歩で上ることもできるのですが、車で大回りして行くこともできます。
車での距離は1.9kmもあります。
急傾斜の近道は、かつて諏訪の家臣が行き来した道なのでしょう。 (07/ 6/28 訪問)

(現地案内板より 以下も同じです。)



上原城と板垣平

上原城諏訪氏館跡

館の礎石ではないかとーーー。
車を降り、大きな空堀を左手に見て回り込んでいくと三の郭に出るのですが、ここに西方金比羅神社があります。
三の郭には、水が湧き出ていて、ちょっと感動するのですが、これは諏訪市の水道なんだそうです。
三の郭から少し上ったところにある狭い二の郭には、物見岩とよばれる巨石があって、そのせいか、かなり狭く感じられます。


三の郭にある西方金比羅神社 三の郭に湧き出る水は水道水

金比羅神社の鳥居を潜って
下ると板垣平
物見岩のある二の郭

二の郭を更に少し上ると、主郭にでます。上原城は、桑原城と比べると、規模が小さいように感じられます。
頼重が上原城を捨てて桑原城を選んだのは、上原城が小さい城だったからとも思いました。
主郭の周りには、土塁があったとのことですが、今は風化してあまりはっきりとは見えません。
悲しい歴史を持つ上原城で往時を偲び、しばらく感慨にふけりました。(2007/ 6/30 訪問)

主郭

今では、あまりはっきりしない土塁
主廓から見下ろす空堀とはなれ山 主郭とはなれ山の間の空堀
(2014/12/24 撮影)

主廓から見る諏訪の町(2014/12/24 撮影)

信玄の寄進状と朱印状が伝わる葛井神社(ちの263番10 )

葛井神社は、かつては境内にある池がご神体でしたが、後に社殿を建てて、槻井泉神を祀るようになりました。
諏訪大社上社の支社で、前宮と関係が深いそうです。
葛井神社の代々の神主だった九頭井太夫家には、武田信玄からの寄進状と朱印状が
残っており、信玄による諏訪統治の貴重な資料となっているそうです。
葛井の池には、
諏訪上社に伝わる七不思議の伝説も多く残っています。    (14/10/21 訪問)  



鳥居を下った右側に社殿が

社殿


かつてご神体だった葛井の池 樹齢推定650年の大欅



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