見て歩く甲斐武田氏の史跡ー山梨県甲州市(3)塩山@

菅田天神社(楯無鎧のあるところ)(上於曽1054)

(現地案内板より)

いつか絶対に見たい楯無鎧
(正式名:小桜韋威鎧兜大袖付)
前九年の役の時(1050)、
森羅三郎義光が 奥州平定折に賜った鎧であると
『見聞諸家紋』に書いてあるそうですが、
義光は1045年生まれとされているので
年代が合いません。
義光は後三年の役での活躍が有名なので
後三年の役の間違いではないかと 勝手に思っています。

全て当時のものというのではなくて、
部分的には、 修復されていると聞いたことがあります。

転載許可をいただいた
甲州市発行『甲州市探訪ダイジェスト版』にある
画像を、アップロードさせていただきます。
                   (05/11/16 訪問)

大本山向嶽寺(上於曽2026)

(現地案内板より)

信玄五箇条の譬書

転載許可をいただいた
甲州市発行『甲州市探訪ダイジェスト版』にある
画像を、アップロードさせていただきます。
信玄の花押

(22/ 7/ 6 撮影)

塩ノ山と袖切坂(上於曽

甲州市塩山に、地名の由来となった『塩ノ山』があるとは知りませんでした。
411号線にある柳沢峠のご飯屋さんのご主人に、その存在を教えていただき、
また、武田信玄が『塩止め』されたとき、「わが国には、塩ノ山がある。」と強がって
みせた、という逸話があるとも伺いました。もちろん『塩ノ山』から塩が採れるわけでは
ありませんが、どんな山だろうかと興味が湧きました。
帰宅してからネットで調べてみると、『四方からよく見える』『四方がよく見える』ので
『しほうのやま』となり、転じて『塩ノ山』になり、地名の『塩山』にもなったとわかりました。
『塩ノ山』は、すぐに見つかりましたが、近寄ってみたいとも考えて、ぐるりと回ったのですが、
塩ノ山の南西に『袖切坂』があって、地元の伝承が楽しめました。
                              (22/ 7/ 6 訪問)



411号線沿いにある
セブンイレブンから撮った塩ノ山
平安時代の古今和歌集にある歌。
『塩の山』は『志ほの山』となっているそうです。



A地点から見上げる袖切坂

坂の途中にある子育地蔵

塩山温泉街にある登り口 A地点から見上げる塩ノ山



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