見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県富士見町(4)

織田軍の兵火にあった夕日山地蔵寺跡(乙事)

天正10年3月仁科盛信の高遠城を攻め落とし、勢いづいた織田勢は、現富士見町乙事を通過して行きました。
そのとき、地蔵寺、明光寺、乙事の錦の芝にあった民家など多数が焼き払われたという。
地蔵寺跡は、県道17号線を作るにあたって、東方30mのこの地に、移転復元されました。

ここに安置されている三体の地蔵尊は、高島藩三代藩主諏訪忠晴によって下肢されたものだそうです。

                                (07/ 1/25  訪問)

(現地案内板より)

復元された地蔵寺跡 地蔵寺跡から県道17号線を見下ろす。

乙事陣場跡(乙事)

織田信長が本能寺で最期を遂げると、諏訪頼忠(諏訪頼重の従兄弟)は、
即座に諏訪領を回復して自立しました。
頼忠を服属させようとして、徳川軍はここ乙事に陣を敷きました。


北条氏直も諏訪を支配しようとして軍を進めあわやというとき、
乙事の名主五味太郎左衛門の気転で
徳川軍は一兵も損なうことなく新府に退却しました。


結局北条は上州を、徳川は甲斐・信濃を得るという和議が成立、諏訪頼忠は徳川配下となり、
頼忠の息子頼水が高島藩初代藩主となりました。


五味太郎左衛門は、その功績により徳川家康の旗本に加えられました。(07/ 1/ 7  訪問)

(現地案内板より)

乙事陣場跡
史跡 陣場 の石碑
富士見町指定 史跡 陣場 の石碑が、上の案内板の近く、 ちょっと小高くなったところにあります。
側面に書いてある内容は、 上の案内板と同じです。



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