高島藩の中道口留番所跡(境葛窪) |
|
たまに通りかかる道沿いに、遠くからも美しい松が見えます。
案内板が新しくなったように思えたので、車から降りて見てみました。
詳しい案内板の説明を読んで、ここも高島藩の藩領だったと知り、
改めて歴史のある史跡だと感じました。
遠くに甲斐駒ケ岳が見えて、気持ちの良いひと時でした。
(23/11/21 訪問) |
|
|
|
|
遠くからも見える松がある『中道口留番所跡』
|
|
移された石組とは、これのことでしょうか? |
|
|
|
『平成6年11月』とあります。 |
|
甲斐駒ヶ岳が見えます。 |
|
信玄が一泊した八幡山安楽寺(境葛窪) |
|
|
富士見町葛窪にある八幡山安楽寺。
今は、アルミサッシのガラス戸があって、
あまり歴史を感じないのですが、
安楽寺中鐘再建奉加帳に、
かつて武田信玄が合戦の途中に一泊したと
記されているそうです。
安楽寺を少し下ったところに
葛窪の古道があります。
信玄が安楽寺で逗留したこともあって、
私は『葛窪の古道』は、
『信玄の中の棒道』の
一部ではないかと思っています。
(05/12/30 訪問) |
八幡山安楽寺 |
|
|
信玄への伝書を隠し入れた小六石(境小六) |
|
|
|
県道17号線沿いにある小六石
|
|
文書を入れたと思われる穴 |
|
|
戦国時代、現富士見町小六区は
甲州と信濃の国境の要所でした。
この地を我が物とした武田氏は、
岡田小六という者をこの地に送り込み、
諏訪の情報収集に努めさせました。
岡田小六は、
開墾が進んでいないこの地に小屋を建てて住み、
農耕を営みながら諏訪の情報収集に努めました。
集めた情報を小六石(後に命名)にある穴に入れ、
武田の使者に渡していました。
小六亡き後、
弟の左近がこの仕事を受け継ぎましたが、
信玄が亡くなると情報収集の必要もなくなり、
岡田左近は甲斐の上野村に
移り住んだと言われています。
|
小六の屋敷があったと言われる場所
|
|
小六が住んでいた屋敷は、17号線沿い小六石と反対側にありました。
現在では建物など何も残っていませんし、現在残っている石垣は、新しいものだそうです。
信玄の中の棒道は、県道17号線を小六石から小淵沢方面に50mほど進んだところで17号線を横切っています。
(07/ 3/25 訪問) |
|