勘助の両親の木像がある滝戸山代信寺(山本) |
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代信寺は、慶安2年(1649年)に建立された
由緒ある古いお寺です。
明治の廃物毀釈により宗持院が廃寺になったとき、
宗持院にあった木像が檀家の希望によって
代信寺に移されました。
代信寺を訪問すると、和尚様が見せて下さいました。
以下、代信寺の和尚様から伺った話です。
この木像に関して、諸説あるそうです。
(1)山本勘助の像である。
(2)祖父貞久の像である。
(3)両親(父貞幸・母安女)の像である。
しかし、2体あることから、(3)ではないかという
見方が強いとのこと。 |
美しい本堂
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向かって右の像の手の組み方から、右側が安女ではないかと言われているそうです。
下の右の写真は、勘助の祖父貞久の位牌です。
木像には何も書かれていないのですが、享保18年(1733年)に作られたと位牌の裏面に書かれています。
(08/ 3/26 訪問) |
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勘助の両親では?と推定される木像
左:父 右:母
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勘助の祖父貞久の位牌
左:表 右:裏 |
上の2枚の写真は、代信寺が作られた『代信寺 縁起』にあるもので、転載の許可をいただいてあります。 |
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山本八幡宮(山本) |
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山本勘助の曽祖父(吉野家初代貞倫)は、
大和国吉野郷からこの地に移住し、
多田八幡宮を創建し、その祠職となりました。
それが現在の山本八幡宮で、
ご祭神は、応仁天皇ですが、
源満仲だとも言われています。
本殿は江戸末期に再建されたものだそうです。
本殿には、絢爛な彫刻のある厨子があって、
公開されるときもあるようですが、
私が訪問したときは、閉まっていました。
(08/ 3/26 訪問)
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山本八幡宮
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吉野家にある写真 |
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隙間から撮影した厨司 |
隙間から厨子の写真を撮ったのですが、はっきりしないので、
吉野家にあった写真も合わせてアップロードします。 |
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勘介が被ったと言われる兜 |
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吉野家が作っている『山本勘助生誕地訪問記念』の栞の一枚に、兜の写真があったので、
勘助が被った兜かどうか、19代目吉野家ご当主に伺ってみたところ、
「勘助が被った兜だ。」というお返事をいただきました。 上の写真がその兜です。 |
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