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早雲寺は、伊勢早雲の遺命によって北条氏綱が箱根湯本に創建したもの。
天正18年、豊臣秀吉が小田原城を包囲するために箱根を越えて
押し寄せたとき、早雲寺は、本陣として使われました。
その後、石垣山一夜城が完成すると、
秀吉は早雲寺を焼き払らってしまいました。
北条氏政・氏輝切腹の後、早雲寺は北条家を継承した
氏親(氏政の弟)と縁戚氏勝らの尽力により元和・寛永期に再建されました。
北条5代の墓は、寛文12年(1672)北条氏治が竣工しました。
(2013/ 7/ 4 訪問)
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早雲寺総門(薬事門) |
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早雲寺本堂 |
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早雲寺全体
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向かって右から、伊勢新九郎、北条氏綱、北条氏康、北条氏政、北条氏直のお墓
一般に北条早雲の名で通っていますが、北条を名乗ったのは2代目からです。 |
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