見て歩く甲斐武田氏の史跡ー山梨県北杜市長坂町(1−1)

大井ヶ森口留番所跡(長坂町大井ヶ森591)

(現地案内板より)

1531年に信虎が作ったと言われる
甲斐国24関の一つ
大井ヶ森口留番所跡を見に行きました。
ここは諏訪攻略の要衝の地だったそうです。
ここは信玄の中の棒道の始点とも
言われています。

行ったときは、生憎工事中で、
石碑や案内板が纏めて置いてありました。
工事が完成したら行ってみようと思います。
           (06/ 2/26 訪問)


小荒間口留番所跡(長坂町小荒間)

八ヶ岳の麓を通り、最短距離で信州に抜けるよう晴信が作らせた道を棒道と言います。
作らせたというか、既にある道を整備させ、繋いがせたというか・・・・。
その棒道を管理するための関所が甲斐国24関の一つ、小荒間口留番所。
今も棒道ウォーキングの始点となっています。       (05/ 9/25 訪問)

(現地案内板より)


三分一湧水(長坂町小荒間292-1)

北杜市長坂町小荒間にある三分一湧水は、信玄が村間の水争いを治めるために
工夫したものだと聞いたことがありますが、
実際は信玄ファンの多いこの地方で、何でも信玄に結びつけただけのこととか。

この工事は昭和22年に行われたものだそうで、古文書には信玄関連の記述はないそうです。
しかし、古文書に記述がなくても、実際には信玄工夫の原型があったかもしれません。
地元の伝承は、否定しきれるものではないとも思います。

今も1日8500トンの10度C水が湧き出るというこの湧水は、3方に分けられて、
地元の人たちの大切な農業用水となっています。   (06/10/ 1 訪問)

三分一湧水 湧水の源泉

小荒間の古戦場(長坂町小荒間)

(現地案内板より)

小海線甲斐小泉駅の近くに、信玄の古戦場があります。
天文9年(1540年)信濃の村上義清と信玄とが
この地で激突し、信玄が勝利をおさめました。
『信玄公御座石』『信玄公鞍懸石』
『信玄公遠見石』などのほかに、

『耳塚』があるとのことでしたが、
見つかりませんでした。
この地で戦があったのかどうか、
私には知る由もないのですが、
「信玄はこの地には来ていない。
後の人が話を結び付けただけだ。」という
話も聞きました。

遠い昔のこと、どちらが本当なのでしょうか。
            (05/ 6/ 6 訪問)
小荒間古戦場の碑

信玄公御座石 信玄公遠見石(向こうに
小海線が見えます。)


信玄公鞍懸石 これが耳塚?

甲斐駒ケ岳と麻利支天(北杜市長坂町で撮影)

NHK大河ドラマ『武田信玄』の出演者名が
出る背景に甲斐駒ケ岳と麻利支天が
出てきます。

同じく『風林火山』に出てくる山も
甲斐駒ケ岳のように見えるのですが、
イマイチはっきりしません。
私の大好きな山ですので、
その雄姿をアップロードします。
頂上左側に見える丸いコブが麻利支天です。
小淵沢からの甲斐駒が一番好きなのですが、
麻利支天が良く見えるので、
長坂町で撮影しました。   (08/ 2/28 撮影)

甲斐駒ケ岳 長野県伊那市、山梨県北杜市白州町 標高2976m
麻利支天 山梨県北杜市武川町 標高2820m

長野県伊那市伊那から見た甲斐駒ケ岳 



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