見て歩く甲斐武田氏の史跡ー山梨県北杜市長坂町(1−2)
(この頁にある大泉町歴史民族資料館蔵の模型、土器などの写真掲載に関しては、許可を得ています。

逸見光長の住まいだった深草館(長坂町南新居)

金生遺跡A区(大泉町)
縄文時代の遺跡である金生遺跡に
行きました。

私が見たかったのは、
逸見光長の住まいだった草館が
あったとされる金生遺跡B区だったのですが、
それは長坂町にあるらしく、
この日は見つかりませんでした。

左の写真は、その縄文時代の遺跡です。
06/10/08 訪問)

金生遺跡A区とB区は、200mくらいの距離で、B区はA区から南に下ったところにあります。
今度は間違えないようにしっかり地図を持って出かけました。

深草館の近くに案内板があって、それによると深草館は
逸見清光の息子光長と孫の元義の住居でその後10代がここに住んだのだそうです。
逸見氏と分家した武田氏と、争いがあったようですが、そういったことには何も触れていません。

深草館は、ぐるりと堀で囲まれていますが、西側は西衣川を利用し、あとは堀として掘ったものとのこと。
城郭は、北廓と南廓でできていて、土塁がしっかり残っていました。    (07/ 2/17 訪問)

(現地案内板より)

金生遺跡B区(長坂町)深草館跡
西側から見た深草館の全景

堀の一部をなす西衣川 城郭から見た西衣川
石積みは、もちろん後世のものでしょう。

今も堀がしっかり残っています。

左:北の廓  右:南の廓 土塁がしっかり残っています。

大泉町歴史民族資料館には、金生遺跡B区から出土した戦国時代の品々が陳列してありました。
清光が実際手にしたものもあるかもしれないと、ちょとワクワクします。
金生遺跡B区からの戦国時代の出土品(大泉町歴史民族資料館蔵)
鉄砲玉 茶臼 石臼 土師質土器

土師質土器

黒源太清光のお墓のある清光寺(長坂町大八田)

あちこちに武田の割菱がみえたて、武田ファンの私は嬉しくなりました。
本堂の裏側にあたるところに清光と祖父新羅三郎義光の五輪宝塔があります。
この五輪宝塔は古いものと新しいものが組み合わされていて、部分的に紛失あるいは壊れたのを再建したものでした。

因みに新羅三郎義光のお墓は、滋賀県大津市円城寺にあるそうです。
        (06/10/08 訪問)

(現地案内板より  以下も同じです。)


清光寺の山門

本堂
中央
逸見清光の五輪宝塔
新羅三郎義光の五輪宝塔

中央高速道路長坂インター近くに、逸見清光のお墓があるお寺がある
というので、出かけてみました。
まず、立派な山門を見て、左手が清光寺です。

武田勝頼の制札

清光寺には、武田勝頼が出した制札があるのですが、
見せてはいただけないと勝手に思い込んで、尋ねてみることはしませんでした。
今思えば残念!

 
1603年(慶長8)徳川4奉行が出したもの     武田の割菱



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