見て歩く甲斐武田氏の史跡ー山梨県北杜市(2)大泉町
(この頁にある大泉町歴史民族資料館蔵の模型、土器などの写真掲載に関しては、許可を得ています。)

黒源太清光の要害城だった谷戸城(大泉町谷戸2736)

谷戸城は、黒源太清光の要害城(合戦の時にたてこもる城)だったところですが、
武田勝頼自害の後、北条氏と徳川氏が争ったとき、北条氏直が谷戸城に入城して、
現在の形に修復したものです。城内の案内が『東三の丸』と『武者走り』しかなく、
大泉町歴史民族資料館の模型と一致していないのですが、こんな感じだということは、
分かると思います。
             (06/10/08 訪問)

谷戸城歴史景観保全地区
 大泉村役場の南に言いするこの谷戸城は、甲斐源氏の祖、新羅三郎義光
の居城であり別名茶臼山城または逸見城と称し、歴史景観保護地区に指定
されています。
 この素晴らしい歴史景観を大切に保護し後の世に伝えましょう。
山梨県   
(現地案内板より 以下も同じです。)

谷戸城模型(大泉町歴史民族資料館蔵)

東三ノ丸(内郭部)

     この辺りが一の郭?


天正壬午の戦いの頃の谷戸城跡からの出土品(大泉町歴史民族資料館蔵)
青磁破片 内耳土器 土鍋片 砥石

信玄が戦勝祈願した逸見神社(大泉町谷戸字御所1142)















逸見神社は、かつては、
現在地の東方逸見山南麓にあったという。

昔からあった神社だが、逸見清光以来
逸見氏の守り神となったため、
逸見神社という名前になったとのこと。

永禄年中、信玄が信濃攻めをしたおり、
戦勝祈願をして、黒印神領2石7斗5合と
社地2千4百坪を寄進したそうです。
           (06/10/08 訪問)

本 殿 神楽殿

信玄が戦勝祈願した八ヶ岳神社(大泉町谷戸)

1540年、信玄が村上義清との海尻城合戦に備え、
戦勝を祈願して八ヶ岳神社に 矢三筋を奉納しました。

これは、神社の案内板にあったのではなくて、
大泉町歴史民族資料館の年表にあったものです。

後の逸見神社への寄進と比べると
かなり軽目だなと思ってしまいました。

06/10/08に八ヶ岳神社に行ってみると、
氏子さんと思える人たちが

神社のお掃除をしておられました。  
                   (06/10/08 訪問)

本 殿 神楽殿



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