『武田家代々尊敬浅からず』白須若宮八幡宮(白須1598) | 
            
            
               
              
              
                
                  
                    よく行く『道の駅・白州』のごく近くに武田家が代々尊敬した神社があることに気が付いたのは偶然でした。 
                    武田家が尊敬した神社・仏閣は数ありますが、この白須若宮八幡宮には額絵があって、興味深かったです。 
                    この額絵の意味するところが何であるか分からなかったのですが、しばし見とれました。 (18/06/17 訪問) | 
                   
                
               
               
              
              
              
               
              
              
              
               
              
              
               
              
               
              
               
              
              
               
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              馬場美濃守(元教来石影政)の菩提寺・自元寺(白州町白須) | 
          
          
             
              
                
                  
                    馬場美濃守の祖先は、美濃土岐氏の一族で、教来石村に移り住んで教来石氏を名乗ようになりました。 
                          だから、馬場美濃守も最初は教来石景政と名乗っていたのですが、後に名門馬場家の後を継ぎ、馬場美濃守信春(信房)と名乗りました。 
                  馬場虎貞が信虎の怒りに触れ誅殺されてから断絶していた馬場家を、信玄が名跡復活させたものです。 
                  美濃守は勇猛果敢で、長篠の合戦での壮絶は死は、彼の名を大いにあげました。 
                   
                  現白州町白須上に、自元寺というお寺がありますが、この寺は美濃守自身が建立したものです。 
                          長篠の合戦で死を遂げた美濃守の形見の品(なんであるかは不明)が届けられて、お墓が作られ、美濃守の菩提寺となりました。 自元寺が建立されて5年後に長篠の合戦がありました。享年62歳だったそうです。 
                   
                  自元寺が馬場屋敷であったと書いているサイトを時々みますが、自元寺は広大な馬場屋敷の外にあったと自元寺で教えていただきました。 
                  赤い屋根の自元寺総門は、その馬場屋敷から移築してきたものです。 
                        全てが当時のままというわけではないけれど、 当時の武家屋敷を知る上での貴重な遺構だそうです。 
                   
                  
                  美濃守は、常時躑躅ヶ崎の館近くに住んでいたので、馬場屋敷には夫人が住んでいました。 
                  ですから、自元寺総門には夫人の紋である笹りんどうがあります。 
                   
                          白州町には、教来石という地名が残っていますが、自元寺、馬場屋敷は、教来石に隣接する現白須にあります。 
                    多分、かつては、白須付近も教来石と呼ばれていたのでは?と思っています。 
                           
                          長篠の合戦で美濃守が討ち死にした後、一族は『白須』と名前を変えたとかーーー。 
                    しかし、自元寺にある美濃守のお墓を守っているのは、『馬場』さんだそうです。             (07/ 2/ 4 訪問) | 
                   
                
               
               
              
              
               
              
              
                  
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                  移築した笹りんどうの紋のある旧馬場屋敷の門 
                  鉄板葺きの屋根は、元は萱葺きだったそうです。 
                     
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                  美濃守が建立した自元寺(紋は花菱) | 
                 
                  
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                  | 舟形になっている美濃守のお墓 | 
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                  美濃守の形見の何かをここまで運んだ原氏のお墓 
                  原氏夫人のお墓は、少し離れたところに! 
                     
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              馬場美濃守(元教来石影政)屋敷跡(白州町白須) | 
          
          
             
              
              
                
                    馬場屋敷は、通称梨子の木屋敷と呼ばれていました。  (07/ 2/ 4 訪問) 
                     
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                        | 左: | 
                        馬場屋敷は、実に広大なものだったそうです。自元寺近くの旧甲州街道に面した馬場館跡の一番角。 
                    川の左側に館があったのですが、ここはほんの外れで、現国道20号線の向こう側まで広がっていました。 
                        ここから自元寺に移築した赤い屋根の門があった場所へは、直線距離で750mあります。 | 
                       
                      
                        | 右: | 
                        右側のとんがり屋根が道の駅『白州』。国道20号線に背を向けて、撮影しました。 
                        左の画像の小さな川が、ここに繋がっています。(画面真ん中) 
                        この小さな川の左側が、ずーっと馬場屋敷だったそうです。 | 
                   
                
               
              
               
              
               
              
                
                  
                    
                        東京方面から諏訪方向に国道20号線を走ってくると、道の駅白州の手前に交差点があります。 
                        この交差点を左折して500m程行くと右側に北杜市立白州保育園があります。 
                    この保育園の庭のどこかに、『馬場屋敷跡』の碑があると聞いたのですが、保育園の方に伺っても、ご存知ありませんでした。 
                    自元寺にある赤い屋根の門は、白州町白須1008-1から移築したそうですが、そこは現在吉田医院となっています。 
                         
                        上の写真は、左が白州保育園の庭、右側が吉田医院。国道20号線方向に向かって撮影したものです。 この辺りが、まさしく馬場夫人が生活した場所なのですね。 | 
                   
                
               
               
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              花菱の寺紋がある八華山長光禅寺(白州町白須前沢) | 
          
          
             
              
                
                  
                    20号線を車で通過中、白須付近で花菱の寺紋のあるお寺を発見しました。武川衆縁のお寺かと思い寄ってみました。 
                        花菱の寺紋は間違いなかったのですが、由緒に関しては何も書いてありませんでした。 
                    帰宅後ネットで調べてみても、何もみつかりませんでしたが、武川衆縁のお寺であるのは、間違いないように思います。 
                                                                      (13/10/23 訪問) | 
                   
                
               
               
              
               
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