見て歩く甲斐武田氏の史跡ー山梨県北杜市白州町(3−3)

武田軍が小笠原・諏訪の連合軍を迎え撃った花水坂(白州町花水)

白州町で国道20号線から七里岩の上がる途中に花水坂があります。
天文年間、この坂で、武田軍は小笠原・諏訪の連合軍を向かえ討ったと言われています。
また、織田信長が、新府城の武田勝頼を攻めたときも、この坂を通ったという言い伝えがあります。
絶景の富士山が見えるところだと言われていますが、この日は生憎の曇りで、
富士山を楽しむことはできませんでした。                 (12/11/10 訪問)

曲がりくねった花水坂
現地案内板より)

古い石碑が残っています。

国道20号線方向を望む。

曲淵氏の史跡清泰寺(白州町花水1461)

甲斐国史によれば、清泰寺は新羅三郎義光の子逸見四郎清泰の開基とされているそうですが、後に曲淵氏が中興開基となりました。
武川衆の名前は、その地名を取っているものが殆どですが、曲淵氏に関しては、その地名は『白州町花水』になっています。
多分、他の地から移ってきて、その地名を名乗る場合と、元の地名を名乗る場合とあって、曲淵氏の場合は、後者だったのでしょう。
清泰寺は、JR長坂駅から歩いて20分ほどのところにあります。
国道20号線から諏訪方向に向かい、『日本の道百選甲州街道台ヶ原宿』の看板で旧甲州街道に入り、
『七賢』の手前で右折して、丘を登り、下って、更に丘を登ったところに清泰寺があります。
特に説明版はないのですが、境内の西側に中興開基曲淵氏墓所があります。
庭には、花菱の模様のある飾り瓦が二つ置いてありました。多分、古い清泰寺で使われていたものでしょう。  (08/ 3/ 2  訪問)

武田の花菱
清泰寺の正面

中興開基曲淵氏墓所

花菱のある瓦

山門近くに、
樹齢640年の大きなカヤの木があります。
640年前というと、
武田信虎生誕の100年以上前ということになります。

左の写真、カヤの木の向こうに甲斐駒ケ岳と
麻利支天が美しく見えます。

清泰寺の西側は道路になっていますが、その道路の西側に『曲淵氏館跡』があります。
そこは、今は若宮八幡宮があって、境内にはカヤの群落があります。
この辺り一帯が、曲淵氏の館だったのでしょう。

向こうに見える社は若宮八幡宮

花水カヤの群落と大藤
カヤの葉と実 カヤの大木

山口の番所跡(白州町上教来石)

旧甲州街道を諏訪方面に向かい、国道20号線を左に見て、国界橋が近づいてくる坂を下っていくと、
信濃と甲斐の国境で、甲斐国24関の一つ
山口関所跡があります。
道を挟んで両側に番所があったらしいのですが、今は西番所跡の奥に江戸時代の蔵が1棟残るのみです。
                                    (07/ 7/22 訪問)

(現地案内板より)

諏訪に向かって右側の山口関所跡

左側の西番所跡 西番所跡碑奥の江戸時代の蔵

武川町横手の風景(横手氏)(横手氏の史跡は見つかっていません。)

横手氏の史跡は見つかっていませんが、
横手氏の所領地であったろうと思われるところの写真をアップロードします。
樹齢は分からないのですが、見事な『横手の駒の松』が枯れてしまって
本当に残念で堪りません。         (08/ 3/ 2  訪問)
 



枯れてしまった『横手の駒の松』
『駒の松』の足元にある石仏 甲斐駒ケ岳と麻利支天



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