元は坐光寺という名だった元善光寺(坐光寺2638) |
『坐光寺』はお寺の名前だと思い、飯田市を訪問したときに探してみました。
そして、『坐光寺』というのは地名で、坐光寺にある有名なお寺は『元善光寺』ですが、
元善光寺と名付けられる前は坐光寺(ざこうじ)と呼ばれていたようです。
つまり、『座光寺』という寺の名前が、寺近辺の地名になったということです。
諸説ありますが、後に鎮西八郎為朝の後裔が座光寺村に移り座光寺を称したという
話があります。座光寺氏は、後この地の知久氏とともに武田氏に従いましたが、
武田氏滅亡時(天正10年)には、織田信長に攻められました。
信長死亡後、徳川家康の家臣となった坐光寺氏は、下伊那郡高森町で山吹陣屋を
持ち、明治維新まで家名を存続させました。
お寺の由緒としては、簡単に言えば、
このお寺は推古天皇の頃、本多善光卿によって開かれたもので、
その後皇極天皇の命で長野善光寺へ遷されたという説明板があるのみでした。
とりあえず、写真を撮ってきたのですが、この本堂がある場所も
かつての『坐光寺城』の城郭の一部のようです。
近くにある耕雲寺、麻績神社も坐光寺城の城郭の一部分だそうです。
座光寺氏に関しては、私には不明なことが多いです。 (13/ 3/ 6訪問)
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『うらやまし 浮世の北の 山桜』 芭蕉(更科紀行) |
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旧座光寺麻績学校校舎と麻績の里舞台桜(座光寺2435)(参考資料) |
テレビ番組で座光寺麻績学校の名が出てきたので、関心を持ちました。
座光寺に行った時は、元善光寺しか訪問しなかったので、いつか麻績学校にも
行きたいので、その時のために、資料を集めておきます。 |
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| 地図には出ていないので、場所がどこかわかりません。 |
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