見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県飯田市(2)

破却されたけれどいくつかの門が残った飯田城(追手町)

飯田城も、明治に入ってほとんど破却されました。
城の五門のうち唯一赤門が元の位置に残され、あと4門は移築され現存しています。
その他、見るべき史跡はないのですが、本丸跡、二の丸跡、桜丸の場所は特定されているので往時を偲ぶことは出来ます。
城近くにある急坂は、かつての空掘だったものもあります。

飯田城は別名長姫城とも言われますが、長姫がどんな人だったか、説明は見つかりませんでした。

因みに、武田氏の家臣・秋山信友は、城代として飯田城に入り、城の修繕をしたそうです。      (18/ 8/26 訪問)

[飯田城の古地図はこちら

(現地案内板より 以下も同じです。)





長姫神社の鳥居

左奥が長姫神社
 
 
    神社奥の石積土塁跡

 
広い本丸跡   本丸跡にある温泉




 
左は 日夏 耿之介館   右は 柳田國男館









 
現在、二の丸跡に飯田市美術博物館があります。

  こんな乗り物が走っていました。
 
 
 
 
 
 
 
 
水の手御門跡   左:水の手御門 右:追手町小学校
坂道に見えますが、実は空堀跡。










本丸へ続く脇坂 今は歩道上となった井戸跡

 飯田市内に点在するかつての飯田城御門

明治に入って、日本の多くの城が破却されました。
今思えば文化財をなんともったいないことをしたのかと思いますが、門とか櫓とかが払い下げになって、今も残っている城もあります。

飯田城の場合も、五つも門が残っていて、そのうち1門は元の場所にあり、
そのうち1門は、城主が代わったときに移築され、その他の3門は
明治になって城全体が破却されたとき、払い下げになりました。

元の場所にある赤門以外は飯田市内に分散していますが、4ヶ所を訪ねてじっくりと見てきました。   (18/ 8/26 訪問)



二の丸御門(旧飯田城の八間門)
飯田市松尾久井2595−1

(現地案内板より 以下も同じです。)





木下家住宅
『石落し』が見られます。

 



桜丸西門(雲彩寺山門)



左:正面からの潜戸                                            右:裏側からの潜戸

 雲彩寺本堂   飯沼天神塚古墳



桜丸の御門(経蔵寺山門)



    経蔵寺本堂



馬場調練の門(脇坂門)
飯田市馬場町3丁目411

正面から見る脇坂門

背面からみる脇坂門

修繕の跡    





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