見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県伊那市高遠町(2−1)

高遠城落城の後落城した藤沢城(高遠町藤沢御堂垣外)

高遠から国道152号線杖突峠方向に走行すると、藤沢地区御堂垣外集落の北側に左の案内板があります。
藤沢城は、主郭が蛇山にあるので、蛇山城とも呼ばれます。

鎌倉時代、諏訪氏の一族藤沢盛景が築城し居住したとも言われ、また天文18年(1549)頃 には保科正直が居住したとも。
保科正直の息子正光は、徳川秀忠の弟を養子とし、これが保科正之です。

保科正直は織田信忠が高遠城を攻撃したとき、仁科盛信と共に高遠城に籠城しましたが、高遠城が 陥落すると
北条氏を頼って小田原へ落ち延びました。そして藤沢城も織田勢の攻撃に落城したと思われます。

福与城(長野県上伊那郡箕輪町)の藤沢頼親は藤沢盛景の末裔だとう説があります。
  (13/10/18 通りがかり)

(現地案内板より)

桜の季節に高遠城に行った帰り、標高1032mの藤沢城に登りました。
かなり急で、落ち葉が滑りやすく苦労しましたが、登りきった本丸はなかなかのものでした。
本丸を巡る土塁と本丸を守る空堀は、かなりしっかり残っています。(14/ 4/14 訪問)


藤沢川の畔にある藤沢城

主郭が蛇山にある藤沢城

急なツヅラ折れの道を登ります。
国道152号線から見た藤沢城

ツヅラ折れの道を登ると尾根に出ました。

尾根の先に本丸が見えます。
本丸

本丸の向こうの空堀
誰がいつ作った祠かわかりません。

本丸の土塁
藤沢城本丸から高遠城方向を眺めました。高遠城は見えません。

金沢峠(高遠町藤澤)

現在は、車も少ない林道っぽい道になってしまいましたが、かつては交通の要所だった金沢峠。
武田信玄は元亀3年(1572年)伊那路を通り遠江に進軍したのですが、そのとき、この金沢峠を越えたそうです。


また、信玄の5男仁科盛信の同母妹松姫が、高遠城主となった盛信を訪ねたときも、盛信が織田信忠に攻められ、
盛信の幼い娘を連れて、新府城まで逃げたときもこの金沢峠を越えたと言われています。
  06/ 6/25 訪問)

(現地案内板より)

金沢峠は、国道20号線を諏訪方向に進み、
右手に青柳駅を見たあとすぐ左の道を登ります。

この林道を登って尾根に出て、
入笠山からの道と合流したところが、
金沢峠だと思います。

左の写真は、その合流点のものです。

金沢峠の案内板(左下の写真)があるものの、
金沢峠はここから1.6kmの距離に
あるとのこと(右下の写真)。

それらしきところを探したのですが、
車は通れないし、今も特定できていません。


このあたり、熊が出没するのですね。
この付近の何箇所かで、『出没注意』の看板を見ました。
ここが金沢峠か?

教育委員会による案内板 金沢峠はここから1.6km

物部守屋神社(高遠町藤沢)

杖突峠から高遠城に向かう152合線の右側に、物部守屋神社があります。
守屋山の中腹に奥宮があるそうですが、今は建物はないとのことなので、この日は、里宮のみ行ってみました。
大連・物部守屋は、仏教の礼拝を巡って大臣・蘇我馬子と対立し 戦い、蘇我氏と聖徳太子の連合軍によって滅ぼされました。
用明2年
(587年)、現・大阪府東大阪市衣摺)でのことです。この地で落命した守屋の墓は、八尾市にあるとのこと。
ならば、どうして伊那市に守屋を祀る神社があるのか、不思議に思っていましたが、
戦に負けた物部一族は、この地まで逃げてきて、この地に住みつき、守屋を祀る神社を作ったとネット上にありました。
諏訪地方の神社には、必ず御柱があるのに、物部守屋神社には、ないことから、その説明に納得がいきました。

なぜ、このホームページに物部守屋神社を取りげたかと言うと、諏訪神社上社の神官の一つに『守矢神長官』
というのが
あるからです。『屋』の字が違うのですが、何か関係があるのでは?と思うのです。
ネット上で色々調べてみましたが、それらしきものもあるのですが、よくは分かりません。
詳しくは分かりませんが、一応諏訪家との関連があるものとして、ここにアップロードしておきます。
灯籠に『三つ柏』の家紋がありましたが、写真の撮るのを忘れました。           (17/ 4/20 訪問)

 
152号線沿いにある物部守屋神社

 
拝殿まで階段を上りました。

 
 本殿は拝殿の裏側から更に階段を上ります。

杖突峠(高遠町藤澤)

天文11年(1542年)、安国寺の合戦で武田信玄に負けた高遠頼継は、杖突峠を越えて逃げて行ったそうです。
現在は国道152号線が通っているので、車で簡単に峠越えができますが、それでも安国寺から杖突峠までは、
かなりの難所であったことが偲ばれます。杖突峠から高遠方向へは、それ程ではありません。

因みに、安国寺というお寺は今もありますが、地名にもなっています。        (08/ 4/26 訪問)

杖突峠国道152号線  伊那市内 27km
大鹿 54kim  長谷25km
杖突峠国道152号線 茅野方向
安国寺は、峠を降りきったところにあります。



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