見て歩く日本の城と史跡ー新潟県上越市(1−1)

柿崎和泉守居城跡(柿崎区柿崎)

柿崎城は、戦国時代上杉家の重鎮として四天王と称された
柿崎和泉守景家と息子の晴影の居城と伝えられています。
木崎山に位置し木崎山城とも言います。
現在は、国道と高速道路のランプウェイにぐるりと囲まれていて、
工事中に遺構がかなり壊されたようです。

景家は、川中島での合戦で猛将として知られました。
その死因は、織田信長と内通しているという噂が流れ死罪に処されたとも、
病死であるとも言われています。
景家没後、後をついだ晴家は、御館の乱で景虎側をを支持したため、
それが原因となり、景勝方によって春日山城内で謀殺されました。

柿崎城は平城で、普段の政務はここで、
要害城は東方にある猿毛城だったと言われています。

因みに上杉四天王は、直江景綱・甘粕景持・宇佐美定満・柿崎景家のこと。
                           (13/ 5/31 訪問)


夕方、雨が降りそうな柿崎区川井付近から望む柿崎城跡全景

柿崎城跡は、北陸自動車道柿崎インターのランプウェイで、ぐるりと取り巻かれています。

国道8号線向かって左側からの登り口

細長い尾根に残る本丸跡(1)

本丸から見る米山(よねやま)。標高992.5m。

本丸から見る柿崎川。本丸は柿崎川に流れ込む小さな川2本と柿崎川にコの字に囲まれています。
当時とは地形が変わっているでしょうが、このコの字の部分全体が城跡だったように思います。

本丸跡(1)の反対側から撮影 国道8号線向かって右側からの登り口

柿崎和泉守の菩提寺楞厳寺(りょうごんじ)(柿崎区芋島2727 )

楞厳寺は、天文3年(1534)、柿崎和泉守により上杉謙信を幼年期から青年期までの9年間、
春日山林泉寺で養育した天室光育を講して建立されたもので、和泉守の菩提寺となっています。
茅葺の山門は、柿崎城の搦手門を移築したと伝わっています。
    (13/ 5/31 訪問)

(現地案内板より)

柿崎城の搦手門を移築したと伝わる山門(修復中)

楞厳寺本堂


柿崎家の家紋九曜 大手毬が美しく咲いていました。

柿崎景家の墓 天室光育の墓



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