柿崎城は、戦国時代上杉家の重鎮として四天王と称された
柿崎和泉守景家と息子の晴影の居城と伝えられています。
木崎山に位置し木崎山城とも言います。
現在は、国道と高速道路のランプウェイにぐるりと囲まれていて、
工事中に遺構がかなり壊されたようです。
景家は、川中島での合戦で猛将として知られました。
その死因は、織田信長と内通しているという噂が流れ死罪に処されたとも、
病死であるとも言われています。
景家没後、後をついだ晴家は、御館の乱で景虎側をを支持したため、
それが原因となり、景勝方によって春日山城内で謀殺されました。
柿崎城は平城で、普段の政務はここで、
要害城は東方にある猿毛城だったと言われています。
因みに上杉四天王は、直江景綱・甘粕景持・宇佐美定満・柿崎景家のこと。
(13/ 5/31 訪問)
|