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越後高田城は、家康の6男松平忠輝が築いたお城です。
豪放磊落ではあっても、容貌が醜かったために父家康から疎まれ、兄秀忠からも警戒
されたという忠輝の築いた城とは?と関心がありました。
お城のイメージは、高い石垣と天守閣なのですが、 高田城は、このどちらもなかった
ようです。現在も外堀、内堀が残っていて、どちらかというと優美な印象が残りました。
極楽橋と三層櫓が再建されていて、なかなか趣きがあります。
この三層櫓は、木造(一部鉄筋コンクリート造)で再建されています。
越前高田藩は、徳川四天王の一人榊原康政の子孫が藩主となり、城の大手掘の外に
康政の甲冑が御祭神の榊神社があります。 (09/ 3/29 訪問) |

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発掘のあと
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明治41年に陸軍が使用するために埋め立てたものを、平成14年に発掘し、復元した極楽橋 この橋を渡ると、正面に本丸跡があります。 |
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明治19年に取り壊され平成5年に復元された三層櫓 高田城のシンボルでした。
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三層櫓から見下ろす景色がとても美しい!
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三層櫓の内部 よく調査して復元したそうです。 |
北側の土塁を部分的に壊し、内堀を渡る橋が作ってあります。 |
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