見て歩く甲斐武田氏の史跡ー山梨県甲斐市(1)

勝頼夫人が新府城を振り返った泣石(下今井)

(現地案内板より)

甲斐市下今井字鳴石に、泣石と呼ばれる
泣き石と呼ばれる大きな石があります。

新府城を脱出した勝頼夫人が
この付近で燃える新府城を眺めながら、
涙したと言われています。


若い勝頼夫人の心を思うと、
しんみりした気分になりました。

         (06/10/18 訪問)

信玄堤(竜王町)
信玄堤とは何か、少し調べてみました。
釜無川と御勅使川の合流地点は、
大水が出ると現信玄堤公園付近に水が溢れ、
田畑に甚大な被害が出たとのことです。
それで、武田信玄は、釜無川流れを変え
釜無川の上流の高岩に御勅使川の
水をぶつけることにより、
水の勢いを和らげようと考えました。


新勅使川の長さは、約4km。
完成までに20年かかったそうです。
                (03/ 8/28 訪問)
信玄堤とは、どのようなものか、
一度見てみたいと思っていたところ、チャンス到来!
2003年8月、近くを通りかかりました。
国道20号線を諏訪から甲府方面に向かって走っていて
竜王町に入ると右側に『信玄堤公園』の看板が見えます。
ここを右折して下っていくと、
釜無川岸の信玄堤公園に出ます。
そこに、大きな説明板があり音声での説明もあるので、
まずじっくりと読み、聞きました。
信玄堤公園から見る釜無川堤防を守る聖牛

そのときまで、旧御勅使川はもうなくなって、家が立ち並んでいるんだと知りませんでした。
現在言われている御勅使川とは、信玄が造らせた新勅使川のことだったのです。
信玄が造らせた川とはどんなだろうかと見に行きました。

当時とは様変わりしているでしょうが、これが信玄が掘らせた新御勅使川!

その後、釜無川と御勅使川の合流点を探しに行きました。
御勅使川が、釜無川に直角に激しくぶつかっているというイメージとはうらはらに、
二つの川の合流点は、緩やかそうに見えました。
大水の季節とか冬の草木が影をひそめた時期に見れば、また違った景色になるかもしれません。

二つの川の合流点と思える場所ー向こうが御勅使川、手前が釜無川

高岩と思える場所を下から撮影
時間がなくて焦りながら、高岩を探しました。
釜無川の対岸に行けばよかったのですが、
道がうまく探せず、それでも通りがかりの人に
教えてもらった通りに行くと、
左の写真のような場所に出ました。

これも高岩の一部でしょう。
でも、後で気がついたのですが、
地図に描いたように、
国道20号線は、高岩の上を通っている!
丁度高岩があると思える場所で、国道20号線は
上り坂になり、少し進むと下り坂になります。
もっと見たいのですが、時間がなく、残念!
国道20号線を、
信玄堤公園を過ぎて少し北上し、
高岩の頂上に来る前、20号線左側に、
『蔵』というお蕎麦屋さんがあります。
『蔵』も、高岩の上にあります。

右の写真は、『蔵』の庭から釜無川を
覗いたものです。
険しい断崖絶壁になっています。
        (08/10/24 撮影)



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