|    川田館跡 | 
                        
                        
                          |  川田館跡は、武田信玄の父信虎が永正16年(1519)につつじヶ埼(現在の武田神社一帯)に館を移すまで、 | 
                        
                        
                          | 甲斐国統治の中心であった。15世紀後半信虎の祖父信昌がこの館を築いたといわれる(甲斐国史)が、信虎が | 
                        
                        
                          | 築造したという説(王代記)も出されている。 | 
                        
                        
                          |  現在でも「御所曲輪」「御馬屋敷」など城館跡に関係する伝えられる。「御所曲輪」と呼ばれる一帯には堀と土塁 | 
                        
                        
                          | の痕跡が認められ土地区画から南北1町(約109M)・東西2町(約218M)に及ぶ館を推定することができる。 | 
                        
                        
                          |  昭和62年(1987)甲府史編纂室によって試掘調査が実施され、15〜16世紀のほぼ信昌〜信虎の時代に | 
                        
                        
                          | あたる土器や擂鉢、大陸から輸入された陶磁器が出土した。 | 
                        
                        
                          |    平成16年3月                         川田町青少年育成会 |