見て歩く甲斐武田氏の史跡ー甲府市(2−2)

武田神社にスポットを当てて/躑躅ヶ崎館跡(古府中町)

(現地案内板より  以下も同じです。)

武田信玄を御祭神とする神社が、
JR甲府駅からバス(武田神社行き)で
8分のところにあります。


かつて信玄が住居としていた
躑躅ヶ崎(つつじがさき)館跡に作られた神社です。
2004年元旦、初詣に行ってみたところ、
人気の神社で、車がたいへん混みあっていました。

躑躅ヶ崎(つつじがさき)館は、信玄の父信虎が、
石和からこの地に住居をうつしてから63年間、
武田氏の本拠地として名を轟かせたところです。
正面の山が要害山かとーー。

上の写真は、緩やかな上り坂で、正面突き当りが武田神社です。
車は、ほとんど止まった状態。正面の山は、要害山だと思います。

快晴ということもあって、大変な人でした。
武田勝頼は、武田氏の居城を韮崎の新府城に移しました。
勝頼没後、躑躅ヶ崎館は、どうなっていたのか分からないのですが、
桃山時代に増改築されてはいるものの、信玄の時代の石垣が今も残っています。左下の写真をご覧下さい。
右下の写真は、武田神社正面向かって右にある堀で、これも信玄時代のものです。
                                         (2004/ 1/ 1  訪問)

今も残る石垣

往時を偲ぶ堀
神社に入るのに規制を受けて、なかなか進めません。40分ほどでやっと神社正面に着きました。
お参りが済んだ後、正面右側にある宝物舘へ。入館料は300円。
この宝物舘には、躑躅ヶ崎館の復元模型や信玄公の兜の複製があります。
しかし、何と言っても心惹かれたのは、信玄の母大井夫人の懐刀と勝頼夫人の嘆願書。
大井夫人の懐刀は、備前長船の作ということで、切れ味鋭く自害しても痛みを感じないように出来ているそうです。
勝頼夫人は、北条氏の出で、信長の養女として年の離れた勝頼と14歳で結婚しました。
19歳のとき勝頼が信長と家康の連合軍に敗れ、勝頼の助命嘆願の手紙が残っているのです。
繊細な字で、最後に『源勝頼うち』と署名があります。
若くして逝った女性の悲しさがにじみ出ていて、しばらく足が動きませんでした。

あと少しーー。 当時からあった姫の井戸

境内にある『姫の井戸』は、
信玄の娘が産湯をつかったことから命名された
という説があるそうです。
この井戸を発掘したところ、茶釜等の品々が出てきて
現在宝物間に展示されています。
今もこの井戸で、美味しい水が飲めます。

左は、『信玄公使用の井戸』です。
覗いて見ると、中の水は汚れていて、
気分が悪くなるほどでした。
信玄公使用の井戸


正面から向かって左側にある出口に向かっていくと堀があって、
「ここは神様のお池です。絶対につりをしてはいけません。」と立て札がありました。

実際に信玄が歩いた場所を私も歩いているのだということは嬉しくて、心弾む初詣でした。

因み武田氏は、現ご当主で15代目。東京在住とか。
滅亡した勝頼1族は、信玄の4男。現ご当主は、信玄次男信親の末裔だそうです。



甲斐武田氏の史跡・目次][年表