見て歩く甲斐武田氏の史跡ー甲府市(3−1)

諏訪頼重、武田義信のお墓がある法蓋山東光寺(甲府市東光寺三丁目)ー甲府五山

武田信玄の歴史に何かと登場する東光寺をやっと訪問できました。

東光寺は、甲斐武田氏の始祖、新羅三郎義光が建立した興国院の名を改めた寺院です。
東光寺で、諏訪頼重が自刃し、信玄長男武田義信もここで死亡しました。

本堂の裏手の墓地には、諏訪頼重と武田義信のお墓があります。

東光寺は、天正10年の武田家滅亡後、織田軍の兵火に焼かれるのですが、
仏殿だけは焼けず、昭和20年の戦災でも、またまた仏殿だけは残りました。
室町時代の建造物だろうといわれる仏殿の柱には、織田軍の兵士による刀傷が残っているそうです。

あと見どころは、東光寺の中興の開祖大覚禅師によると言われる庭園で、300円で拝観できます。
                                       (08/11/19 訪問)

2度の火災でも焼けなかった仏殿

県の文化財 薬師如来

仏殿の背面
コンクリートの本堂

武田の割り菱
武田信玄の生涯の中に大きく関わった、諏訪頼重と信玄長男武田義信のお墓を目前にして、
しばし、感無量となりました。

傾いている武田義信のお墓

諏訪頼重のお墓

美しい東光寺庭園

植え込みも武田の割り菱(廊下の向こうが庭園)
中門を入ると右手に『お休み処』があります。
左は、そのお休み処からの景色ですが、
紅葉が見ごろで、とても綺麗でした。

右側の建物が仏殿、左側が鐘堂です。
仏殿の手前に心春昌池があり、
これも楽しめます。

武田の花菱の紋がある来迎寺(甲府市東光寺一丁目)

身延線金手駅の近く、
山八幡神社のとなりにある来迎寺に、
武田の花菱がありました。
もう一つ紋があったのですが、
写真がうまく撮れていません。

いずれにしても、来迎寺は、
武田氏に関係のあるお寺だと思います。
            (06/ 9/13 訪問) 
来迎寺の本堂

武田の花菱 抱角に見えますが、よく分かりません。

武田信守(信玄は16代目)が開基した能成寺(甲府市東光寺町)ー甲府五山

能成寺は、甲斐武田氏第13代当主・ 武田信守(信玄は16代目)が開基したお寺で、
甲府五山のうちの一つです。
もともと八代郡(現在の笛吹市)にあったものを信玄の時代に府中(現在の甲府市宝町)に移され、
甲府城を築いたときに、再度この地に移転されました。

境内に武田信守の供養等があるとのことでしたが、うっかり見逃しました。

能成寺には虎石があるとのことだったので、探したのですが、よく分かりませんでした。
虎石は、富士山に良く似た美しい形の石で、あまりの美しさに盗難にあうところでした。
それを防ぎたい住職が、その石を逆さまにしたところ、虎の姿に見えるようになったというものです。
                                          (06/ 9/13 訪問)

(現地案内板より)
 
本堂の屋根にある武田菱
これが虎石?
能成寺への入口付近に、
芭蕉の『名月や池をめぐりて夜もすがら』
の句碑があります。


また、忠臣蔵に登場する大野九郎兵衛夫妻の
お墓と思われるものが、能成寺にあるそうです。
芭蕉の句碑

信玄の母大井夫人の菩提寺・長禅寺(甲府市愛宕町)ー甲府五山

長禅寺は、甲府五山の筆頭で、信玄の母大井夫人の菩提寺です。
信玄の母大井夫人は、旧・巨摩郡鮎沢村現在の南アルプス市に領地を持っていた大井氏の娘で、
政略結婚で、武田信虎の正室となりました。


大井夫人が亡くなった後、信玄は鮎沢村にある長禅寺を二分して府中に創建し、大井夫人の菩提寺としました。
大井氏の菩提寺は古長禅寺として、現在も南アルプス市に残っています。


長禅寺には、信玄の弟武田逍遥軒直筆の『大井夫人像』が残っているそうですが、公開されていません。 
                                           (06/ 7/ 1 訪問)

立派な山門の向こうに門が更にあって
その向こうが本堂です。
信玄の母、大井夫人のお墓があることと、
信玄が幼少のころ勉強した道場があった
と書いてあります。


本堂の屋根にある武田菱 大井氏の家紋かと思ったのですが、
どうも違うようです。

この奥が本堂です。

本堂
大井夫人のお墓

もう一棟五重の塔があるのですが、
こちらの方が古そうです。
初めて見る、細長い鐘です。



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