甲府善光寺(善光寺三丁目) |
甲府善光寺は、武田信玄が第二次川中島の戦いのとき、信濃善光寺が火災にあったので、
その後の合戦で御本尊・一光三尊阿弥陀如来が消失するのを恐れ、永禄元年(1558)御本尊等を移すために建立した寺です。
幸い信濃善光寺は、火災に遭うことはありませんでした。
その後、武田氏滅亡により、御本尊は織田・徳川・豊臣氏を転々としましたが、
慶長3年(1598)に信濃に戻されました。
残念なことに、山門も本堂も消失して、現在の建物は信玄が建立したものではありません。
現在の本堂は宝永四年(1707)の再建で、江戸時代中期のものです。
甲府善光寺の御本尊は、信濃善光寺の前立仏で一光三尊式善光寺如と呼ばれています。
信長と家康の勝頼攻めのとき、信長は善光寺を本陣にし、ここで小山田信茂や葛山信貞(勝頼の弟)等が殺されました。
善光寺の案内板には、そういったことは書かれていません。 (06/ 7/ 1 訪問) |
読売新聞オンラインによれば、甲府善光寺に源頼朝木像あるそうです。
『長野市の善光寺が所蔵していたが、武田信玄が川中島合戦の際、戦火が及ぶのを懸念し、
1558年に甲府善光寺に移したとされる。』と記事にありました。
源頼朝木像は、解体・修復され、上の写真左は修復前、右は修復完了後のものだそうです。
(読売新聞オンラインより) |
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板垣氏屋敷跡伝承地(善光寺一丁目) |
現在の善光寺、東光寺(両方ともお寺ではなくて地名)愛宕町付近をかつては、板垣村と呼んだそうです。
その名の通り、板垣氏の諸領地だったわけです。
甲府市善光寺1丁目にある城東通りの善光寺入口交差点と酒折宮入口の交差点の間に、
かつて、惣門台という名が残っていて、これは板垣氏館の惣門があった場所だという説があります。
この辺りかな?と思うところで、古そうなお店で聞いたみたのですが、よく分からないとのことでした。
では、板垣という名前はどこにも残っていないのかと探してみたのですが、大円川にかかる橋に『板垣橋』とありました。
しかし、この橋は『昭和56年3月竣工』とあって、現代のもののようです。
それでも、『板垣』の名前が残っていて、嬉しく思いました。 (06/ 9/13 訪問) |
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甲府に向かって左側に惣門台という地名が
残っていたという・・・・。
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板垣橋(画面右に城東通りがあります。) |
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大円川(向こうに城東通りにかかる橋が見えます。) |
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板垣信方が開祖となった善照寺(善光寺一丁目) |
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永禄元年(1558年)に、
板垣信方が開祖となったとされる善照寺。
しかし、板垣信方は天文17年(1548年)に
討ち死にしているので、そんなはずはありません。
しかし、板垣氏縁のお寺ではあるのでしょう。
コンクリートの建物で、
良く見ないとお寺とは分かりません。
城東通りから善光寺に向かう途中、
中央線の線路脇にあります。 (06/ 9/13 訪問) |
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