見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県松本市(2)
信玄飛騨高山へ

信玄の飛騨高山攻略のための池尻砦(安曇沢渡)

第三次川中島の戦い以降、上杉謙信とにらみ合いの状態が続いた信玄は、
善光寺御本尊を甲府に移すなど、次の川中島の合戦に備える一方で
飛騨高山の攻略も進めていました。
その前線基地として、沢渡に池尻砦を築きました。
この地は、鎌倉街道を呼ばれる昔からの街道があること、
飛騨と信濃の国境付近であったことなどが考えられます。
山県昌景が飛騨高山の江馬氏を滅ぼしたのは、第五次川中島の戦いの後となります。
                                  (14/10/28  訪問)

沢渡駐車場から梓川を渡ったところにある案内板より

鎌倉街道案内板より

池尻池に向かって 池のほとりにある池尻砦の石碑


 [迷訳]
永禄2年(1559)6月、信玄は深志を出陣。飯富三郎兵尉昌景、馬場民舞少輔景政、
甘利左衛門晴吉が飛騨の江馬常陸介を攻めた。平湯(塩谷)筑前守等が両国の境
池尻に砦を築いた。木曽衆並びに長坂左衛門国清等が築砦に参加した。永禄8年
4月、山県三郎兵尉が飛州城を囲んで攻めて、江馬常陸介輝盛は高原城で降参した。
飛州1国が平定され、武田家に属した。

池尻砦石碑近くの案内板より

池尻池を右に見て砦に上る。

瓢箪型の砦の括れたところ
上った向かい側は谷底

左手に社が
池尻砦の案内板より

上ってきた左手の尾根 上ってきた右手の尾根

信玄縁の湯けむり館(安曇鈴蘭4306ー4

乗鞍岳の中腹にある武田信玄が開拓した大樋銀山から自然湧出した真っ白な硫黄の湯。
信玄が開拓当時からその疲れを癒したとも言われ



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