上杉謙信が陣をしいた妻女山(清野) | 
          
          
             
              
              
                
                  第4回川中島の合戦のとき、上杉政虎が陣をしいた妻女山は、信玄が陣をしいた八幡原の南方にあります。 
                    山というよりは、ちょっと小高い丘という感じです。車で頂上まで行けますので、夕暮れだったのですが行ってみました。 
                    桜が美しく、千曲川の景色もなかなかだったのですが、山頂からは八幡原古戦場がどこなのか、特定できませんでした。 
                                                                        (07/ 4/15 訪問) | 
                 
              
             
               
              
              
                
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                  こぶのように見えるのが妻女山 
                  直進:千曲  左:真田  右:篠ノ井 
                   
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                  桜が美しい妻女山展望台 
                  
                  車で上れます。 | 
                 
                
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                  | 展望台から古戦場が見えるはずなのですが、どこだか分かりませんでした。 | 
                 
                
             
             
              
              
                
                  
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                          左の写真は、東京方面に向かって 
                    走りながら撮りました。 
                          画面左側のコブになっているのが妻女山です。  
                                       (09/ 4/26 撮影) | 
                         
                      
                     
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                    大河ドラマ『武田信玄』で山本勘助が妻女山を見張るために上った薬師山。 現在、薬師山を中央道のトンネルが貫いています。薬師山は、妻女山の1.5km程西にあります。 
                        上の2枚の写真は、新潟方向に向かって撮ったものです。(09/ 7/18 撮影 | 
                   
                
               
               
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              山本勘助の胴と頭が合った胴合橋(西寺尾) | 
          
          
             
              
              
               
              
              
                
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                  千曲川にかかる松代大橋のたもとに、 
                  大きなドライブインがあります。 
                  そのドライブインの中に 
                  胴合橋があります。 
                  第4次川中島の合戦で、 
                  上杉軍に破れ首をとられた 
                  山本勘助ですが 
                  配下の者が取り返して、 
                  胴体と合わせた場所だと 
                  言われています。 
                  一説に同じく首をとられた 
                  典厩信繁の首と胴体が 
                  合った場所とも言われているそうです。 
                              (13/11/30 訪問) | 
                 
              
             
             
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              山本勘助の墓と広瀬の渡し(小島田) | 
          
          
             
              
              
                
                  第4次川中島の合戦で討ち死にした山本勘助のお墓は八幡原の決戦場の千曲川の対岸にあります。 
                        山本勘助は元々は陣ヶ瀬東高畑に葬られ、五輪塔が建てられたのですが、 
                    後に千曲川の増水等による荒廃を憂えた松代藩士によって信州柴阿弥陀堂の境内に遺骨を移され、墓碑が建立されました。 
                        現在柴阿弥陀堂は水害の被害がない別の場所に移転されましたが、山本勘助の墓は台座を高くして元の位置にあります。 
                         
                    山本勘助のお墓の脇の道はかつての街道で、第4次川中島合戦のとき、海津城を出た信玄本隊が通って八幡原に至った道だそうです。 
                    その道は、千曲川にぶつかるのですが、そこは広瀬の渡しと呼ばれていました。              (13/11/30 訪問) | 
                 
              
             
               
              
              
               
              
              
                
                  
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                    前方が広瀬の渡しで、 
                  千曲川を渡ると八幡原古戦場 | 
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                    道沿いにある石仏 | 
                   
                
               
               
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              高坂弾正のお墓がある龍潭山明徳寺(豊栄) | 
          
          
             
              
              
                
                  天正6年(1578)5月8日(7日説もあり)、高坂弾正忠昌信は海津城で病没し、明徳寺に葬られました。 
                  明徳寺は、松本から真田に抜ける県道35号線沿いにあります。 
                  高坂弾正は、海津城の初代城主となった人物で、 
                  豪農の家に生まれて大出世したとか、武田晴信からラブレターを貰ったとか、 
                  第4次川中島合戦で、敵味方の区別なく戦死者を丁重に弔ったとか、 
                    甲陽軍艦に加筆したとか、エピソードに枚挙がありません。『甲陽軍鑑』は、明徳寺にあります。 
                   
                    高坂弾正NHK大河ドラマ『天地人』の中では、主人公の直江兼続(樋口兼続)と海津城で面会しています。 
                    定説では、そいう事実はなかったらしいのですが、それはさておき、高坂弾正は、武田家の重臣の中ではとても人気がある人物で、 
                    5月8日の命日には、今もお墓参りに来る人があるそうです。 
                     
                    明徳寺ですが、クリントイーストウッド監督によるアメリカ映画『硫黄島からの手紙』の主人公、栗林忠道大将の墓もあります。 
                                                                    (09/ 4/26 訪問) 
                   
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                  | 懐かしい旗が・・・。 | 
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                  山門 
                     
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                  | 本堂 | 
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                  高坂弾正のお墓 
                  (文字はとろけて読めません。) 
                   
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                  | 高坂氏の家紋ではありません。 | 
                   | 
                  境内にたくさん咲いていました。 | 
                 
              
             
             
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