見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県長野市松代町(2)

海津城ネットワークの一翼を担ったと思われる竹山城(西条479−11 )

竹山城は、今は象山と呼ばれています。中央高速道路から見ると、象の形に似ているからだそうです。
竹山城の麓には、佐久間象山を祀る象山神社がありますが、
地元の方のお話では象山と佐久間象山とは、特に関係がないということです。
標高476mの象山に登ってみると、二の廓付近にはたくさんの竹林があります。
この竹は、真田氏が松代移封後に植えたという説もあるようです。
竹山城は、
もはと西条氏の本城であったのが、戦国時代には村上氏配下の清野氏が鞍骨城を本城として、
竹山城を東の守りに使っていたという説があります。
竹山城は海津城から1.4kmと近い距離にあり海津城築城後は、武田信玄のノロシ・ネットワークの
一翼を担っていたと思われますが、
詳しくはわかりません。
主廓には、石組みが見られますが、修復も当然あったのでしょう。
象山の下は、第二次世界大戦末期に大本営を移すべく地下壕が掘られました。

今は、その地下壕の一部が無料公開されています。
象山へは、地下壕入り口の付近からの遊歩道で、または、象山神社近くの公民館横手からも登ることができます。

                                            (14/ 8/21 訪問)

中央高速道 松代サービスエリアから見た象山とノロシ山

二の廓から主廓に上る途中の石組み

石組みの向うが主廓

主廓

かなり広い二の廓

かつて竹山と言われただけあって
たくさんの竹林があります。

二の廓から象山神社に下る途中の階段
岩を掘って作ったように見えます。
象山の下の第二次世界大戦末期に掘られた地下壕
(現地案内板より)

公開されている部分


武田軍のノロシ山と天皇御座所(西條)

象山の南南東3kmほどにあるノロシ山は、川中島の合戦時
武田の見張りが20人ほど陣取り、狼煙を上げて、甲府まで急を知らせたそうです。
ノロシ山の標高は844mで、三角にそびえる目立つ山です。

舞鶴山の麓には、第二次世界大戦の末期に造られた天皇御座所と
避難用の地下壕があり、室内を外から覘くことができます。(14/ 8/21 訪問)


(現地案内板より 以下も同じです。)

間仕切


外からのみ見学可能

 

 真田家ゆかりの白鳥神社(西条)

ノロシ山の手前にあるのが標高559mの舞鶴山ですが、
その中腹にあるのが真田信之と大和武尊をご祭神とする白鳥神社です。
上まで登らないでも、麓でお賽銭をあげてお参りができるようになっています。
時間がなかったので、登らないでお参りを済ませたのですが、今思うと、とても残念です。
                                  (14/ 8/21 訪問)

(現地案内板より 以下も同じです。)




象山から見た白鳥神社

本殿は300m先
真田家ゆかりの竹山隋護稲荷神社(西条)

通りがかりに見つけた赤い鳥居が美しい神社が
真田家ゆかりの神社であると案内板を読んで知りました。
                     (14/ 8/21 訪問) 

(現地案内板より)





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