見て歩く甲斐武田氏の史跡ー山梨県南都留郡(2)

狼煙台があった本栖城(富士河口湖町上九一色村)

本栖城に行くには、上九一色中学へのアプローチの道(国道358号線を本栖湖に向かって右)に
車を置かせてもらって、門の3mほど手前右側にある旧中道往還を歩くと、5分くらいで登り口に着きます。
途中溶岩石を積んだ『信玄築石』もあるので、この旧道を往復するのがオススメです。

本栖城に行く前に、本栖湖畔のレストランで食事をしながら、本栖城についてレストランの店主さんにいろいろ教えていただきました。
本栖城は、武田軍が駿河の国境を守るための城であったこと、そして狼煙台の中継地点であったこと。

狼煙は、本栖城→三方分山→左右口峠→躑躅崎館と中継したこと。狼煙は、日本狼の糞で作ったこと。

本栖城は、かなり急な坂を登っていくと長い尾根があって、その尾根上に廓と空堀がいくつもあるという構成です。
レストランの店主さんから、主廓まで行ったら、あと30mくらいで狼煙台があるから、見落とさないようにともアドバイスを受けました。

このように長い尾根にあるお城は、砥石城は別にすると初めてだったので、とても楽しめました。      (07/11/ 4  訪問)

(現地案内板より)



本栖城登山口
右の地下道を潜って、358号線から入ります。


かなり急な道を登ります。
尾根に登ったところ(廓でしょうか?)

尾根つたいの道
空堀

3の廓(?)
空堀

2の廓(?)
尾根から見た本栖湖

主廓
主廓を過ぎて、更に進むと
『武田最前線史跡公園 城山跡(のろし台)』
の案内板がありました。


狼煙台に上がってみると
右手に本栖湖が、
左手眼下に358号線が見えました。
のろし台

358号線 本栖湖

石塁(富士河口湖町上九一色村)

国道358号線上、上九一色中学校入口の反対側に石塁の案内板があります。
かつて上九一色村は、駿河と甲斐の国境でした。
石塁とは、敵の侵入を防ぐための壁で、武田信虎、信玄の時代に作られたという伝承があります。
国道358号線の上九一色中学校入口の反対側というと、青木ヶ原の樹海なのですが、
国道からどんどん離れて、長さ約2km、高さ約2mの溶岩石の壁が続いています。
公園として整備されているのは、その半分(長さは不明)で、石塁の脇を歩けば道に迷うことはありません。
青木ヶ原の中を歩いていて、国道を通る車の音も聞こえなくなると、少し不安にはなりますが、
林道のゲートのところに出たら、林道を通って国道358号線に戻ることができます。

磁石もきかないと言われる青木ヶ原の中を散策できて、ちょっとスリルがありました。
 (07/11/ 4  訪問)

国道を背にして 国道方向を向いて

信玄築石




本栖城近くの樹海の中に、
信玄が駿河からの敵に備えて

溶岩石を積み重ねて築いた
『築石』があります。


『石塁』と違う点は、
『築石』は溶岩が段になっていることです。
2007/11/ 4 見に行った時は、
落ち葉に埋もれるような感じになっていました。

           (07/11/ 4  訪問)

七社大明神(富士河口湖町上九一色村)

本栖湖入口と上九一色中学の間にある
旧中道往還と358号線に囲まれたところに
七社大明神というお社があります。
現在では、大明神というわりには、
小さなお堂があるだけのこじんまりとしてお社です。
江戸時代になっても信玄を慕う地元の人は、
七社大明神に信玄を祀り
疫病退散の神様として信仰したそうです。

信玄の碑だけでなく、
道祖神や馬頭観音も残っていて、
道行く人が、道中の安全祈願をしたことが分かります。

                (07/11/ 4  訪問)
それほど大きくないお堂

恵林寺殿機山信玄公大居士神儀

両替坂(富士河口湖町上九一色村)

上九一色中学門近くの緩やかな坂は、
武田の時代、両替坂と呼ばれていました。

甲斐の国は金山がたくさんあって、
甲州金は品質が優良だったため
他国への持ち出しは禁止されていました。
それで、ここにある両替屋敷で両替して、
駿河などへ商売に行ったというわけです。

しかし、徳川時代になって、
ここでの両替制度は廃止されました。
               (07/11/ 4  訪問)
上九一色中学の正門付近から撮影



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