三崎城は、元々は三浦氏の城でしたが、
永正15年(1518)北条早雲は三浦氏を亡ぼし、三崎城を共に落城させました。
三浦城は三浦氏累代の水軍の根拠地でもあったとのことで、続いて北条氏五代の水軍の拠点になりました。
そのため、三崎城は北条山とも呼ばれています。
天正18年(1590)豊臣秀吉に攻められ、小田原北条氏が滅亡すると
三崎城は廃城となりましたが、江戸時代代官屋敷として使われたそうです。
現在は三浦市役所をはじめ三浦市の施設として使われており、かつて城があったとは思えない状況です。
しかし、あちこちに残る土塁や車道となっている空堀に、戦国時代の城の面影が残っています。
(14/ 9/16 訪問) |
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大手門はこのあたりか?左下に市役所があります。
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本郭は今は体育館か? |
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美しく海が見えます。
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体育館近くにある城跡の碑
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青少年会館のあるところが五の廓 |
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しっかりした土塁が残っています。
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戦没者慰霊碑があるかつての物見 |
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この辺りが搦手か?
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かつての二の堀 |
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海岸線の形は当時とはかなり違っているでしょう。
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海から見上げる三崎城 |
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