見て歩く日本の城と史跡ー宮城県多賀城市

新羅三郎義光が馳せ参じた多賀城(多賀城市市川)

武田氏の始祖新羅三郎義光の兄八幡太郎義家は、父源頼義が陸奥守に任じられたとき、
一緒に赴任し、多賀城に入り、父の任務を手伝いました。
前九年の役の勝利の後、京都に戻った頼義父子でしたが、
頼義の死後、今度は義家が陸奥守に任じられ、再度多賀城に入りました。


義家は、清原氏の内紛に介入して後三年の役がはじまると苦戦し、
それを聞いた義光は、官職を辞して陸奥に馳せ参じました。
義家・義光の連合軍は、勝利をおさめ、義家の武勇を天下に知らしめることになりました。

武田家の始祖新羅三郎義光も訪れたであろうと思うと、多賀城に対する感慨もひとしおです。
芭蕉もここを訪れています。        (2013/01/24  訪問)

(現地案内板より  以下も同じです。)


発掘調査開始時点の多賀城

上:多賀城跡全景  下:赤い点付近から見た政庁跡

 

政庁推定復元模型

左上:政庁へと続く階段    左下:復元した政庁


 
 奈良時代後半の外郭南門推定復元図

   
政庁を取り囲む土塁跡

政庁付近から見下ろす多賀城市
 
 
後村上天皇御座之處

政庁跡に残る土台石
(補充されたものもたくさんある中、元からあったものだと思われます。)























多賀城跡南門付近にある奈良時代に作られた石碑が、鞘堂の中にあります。
この石碑は、多賀城跡全景図の中の赤い点付近にあります。



 多賀城神社
昭和27年(1952)に建立された市内で一番新しい神社です。
南北朝時代、陸奥太守としして多賀国府に赴任した義良親王
(後の後村上天皇)と北畠親房・顕家親子を祀っています。
社殿は第二次世界大戦時の多賀城海軍工廠奉安殿を移築し
たものであり、海軍工廠の数少ない遺構としても貴重です。
(現地案内板より)
注:結城宗広も祀ってあると読んだことがあります。

多賀城廃寺跡(多賀城市高崎)

(現地案内板より)

多賀城から1kmくらい離れたところにある
多賀城とともに建立された付属寺院。
新羅三郎義光は、ここにも来たのでしょうか?


現在は、史跡公園として公開されています。
                 (2013/01/24  訪問)





左は、寺院入口
向かって左下:本堂跡   右下:塔の跡 

敷石が残る本堂跡 階段を登る塔の跡



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