見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県長野市(3−1)

  定額山善光寺(元善町491)


物部氏と蘇我氏が争っていた時代のこと、
仏教の受容を巡っての崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派の物部氏によって
百済から伝来してきた仏様が、難波の堀江へと打ち捨てられました。
その仏様を拾い上げ、信濃の国にお連れして、祀る寺を作ったのが信濃善光寺だそうです。
その仏様は日本での最古の仏様で、一光三尊阿弥陀如来と言います。

一光三尊阿弥陀如来は、まず飯田市の元善光寺で、次に7年間諏訪善光寺で祀られ、
そして、信濃善光寺に移られました。

善光寺は、川中島の近くにあるので、第二次川中島合戦で火災にあいました。
それを心配した武田信玄が本田善光のお墓がある甲斐の国板垣村に
阿弥陀如来様を避難させる寺院を建立したのが甲斐善光寺です。
一時甲斐へ移動した後、最終的には、信濃に戻りました。


善光寺のご本尊は秘仏だとされていて、善光寺のご住職も見ることができません。
鎌倉時代に、ご本尊の身代わりをする前立て本尊が 作られました。
7年ごとの、善光寺のご開帳は、ご本尊を公開するのではなくて、
ご本尊そっくりに作られた前立て本尊が公開されるのです。

左の信濃善光寺の額は、鳩文字で描かれています。 (09/04/29 訪問)

御開帳の期間中、
前立て本尊の右手に結ばれた金糸は
五色の糸にかわり、白い善の綱として、
本堂前の回向柱に結ばれます。
その回向柱にタッチするのは、
前立本尊と握手するのと
同じことで、前立本尊と縁が生まれます。

2009年は、ご開帳の年。
期間中の
2009年4月29日
お参りに行ったのですが、大変な混雑でした。
仁王門

左の仁王像

右の仁王像
山門 牛の頭を表しています。

本堂 松代から送られた回向柱



  第二次川中島の戦いで上杉謙信が布陣した横山城(箱清水) 
 
横山城は、善光寺のすぐ近くにあります。
誰が築城したのか、どのような歴史を持っているのかは、よく分かりません。
地元でも余り有名ではないようで、行き交う人に場所などを尋ねても、答えはお1人からしかいただけませんでした。

公民館にあった案内板で第二次川中島の戦いで、上杉謙信が布陣したことが分かりました。

その後、武田氏の支配するところとなり、横山城と善光寺の距離の近さから、武田信玄が甲府善光寺を建てて、
信濃善光寺の御本尊を甲府に移してから、有無の戦い・第四次川中島の戦いに臨みました。

信濃美術館がある城山公園も横山城の郭の一部かとも思えるのですが、根拠は何もありません。
                                         (17/06/05 訪問)

(公民館にある案内板より)


神社のある場所がかつての主郭

左に一段高い主郭
画面奥は一段低くなっています。

公民館の入口左に、横山城の案内があります。
木の陰になり見えないけれど、木々の向こうに主郭があります。

公民館入口から見る善光寺



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