見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県小県郡長和町(大門街道沿い)

信玄も飲んだ強清水(長和町大門)(小茂ケ谷の手前・広原)

『強清水』は、現在の大門街道から少し入った道沿いにあります。
多分、この入った道が旧大門街道なのでしょう。

ここに湧き出す清水は、信玄が川中島合戦の道すがらに飲んだとされています。
更に、大門峠を下ったところに『またたび清水』(宮ノ上)というものがあります。
信玄は、この清水も飲んで「たいへん美味だ!」と言ったとか。
後に京都を目指していたとき、病に倒れた信玄は「宮ノ上の水が飲みたい!」
と熱にうなされながら言いました。
それを聞いた家臣の一人が馬を飛ばして『宮ノ上の水』を汲みにきたのですが、
信玄の命が明日をも知れぬ状態だったので、近い方の『強清水』を汲んだ帰りました。
持ち帰った清水を飲んだ信玄は、「これは、宮ノ上の水ではない。」と、病が篤い状態で飲み分けたました。

『またたび清水』は、この逸話によって名づけられた名前です。
今回は、『強清水』だけを見ました。               (09/ 9/ 6 訪問)

ジュースが冷やしてありました。 ジュースを外して撮影

大門稲荷神社(長和町大字大門字丸岩)(入大門の集落からほど近く152号線沿い)

大門稲荷神社は建築彫刻と相撲史上貴重な辻として有名ですが、武田信玄にまつわる話も残っています。
大門稲荷神社は、かつては『飯綱明神』を祀っていましたが、後に『稲荷大明神』と称するようになりました。 

天文11年(1542)武田晴信がこの地に逗留したとき、
戦勝祈願のため鏑矢を奉納したという
言い伝えがあるそうです。

しかし、天文11年と言えば、
晴信は諏訪を手中にするのに忙しかった年で、
大門峠を越えたのかどうか、疑問に思われます。

いずれにしても、この神社の奥の院は、
晴信奉納の鏑矢を祀ったものとされていますが、
工事中のため、
中には入れませんでした。

また、本殿脇に川中島出陣の際に
信玄が植えたという
杉の木があったそうですが、
今はもうありません。
(09/ 9/ 6 訪問)
修復工事中の大門稲荷神社

左: 精緻を込めた鳥居の額は、普段は外されています。
右: 江戸相撲の黄金時代を築いた力士も稽古したと言われる土俵

信玄縁の中山城の遠景(長和町大門)

中山城址は、信玄がとりたてた城だという伝承があるそうです。
桑の木原にある農作業準備休憩所から見ると、たて濠の址が良く見えます。
中山城址は、大門街道と中山道に挟まれたところにあります。(09/ 9/ 6 訪問)

中山城址 たて濠の址がよく見えます。



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