見て歩く甲斐武田氏の史跡ー韮崎市(3−1)

武田氏の分家・青木氏が開基した武隆山常光寺(清哲町青木)

武田氏の分家・青木氏の始祖青木時光から重満までの11代は、この地で生涯を終えていて、
そのお墓は、本堂の裏を登ったところにあります。

青木氏は武田家滅亡後徳川家康に仕え、青木信俊は柳澤家に養子に行きました。
柳澤信俊の孫が柳沢吉保です。             (08/ 4/ 5 訪問)

青木氏の系図(案内板を参考に作成)
武田信義 武田信光 一条信長 一条時信 青木時光 青木常光(常光寺を開基)
七世  青木満懸(武田信縄
・信虎・信玄に仕える)
 青木重満
(武田信繁に仕える)
柳澤信俊 柳沢吉保

(現地案内板より)

山門

本堂
ちょっと変わった花菱

本堂の裏にある青木氏歴代のお墓

春真っ盛りでした。

武田の割菱がある近戸神社(清哲町樋口)

武隆山常光寺から、武田八幡宮方向に進んだところ、
桜が綺麗な神社があったので、寄ってみました。
『近戸神社』と名前だけは分かったのですが、その他の情報は全くありません。
でも、屋根に武田の割菱があったので、とりあえず、アップロードしておきます。
                          (2008/ 4/ 5 訪問)



十六石-信玄の治水工事-(一ッ谷)

韮崎市の中心部を過ぎて国道20号線を諏訪方向に進むと、
右に曲がると七里石をくぐるトンネルがある交差点に出ます。
その交差点を過ぎて少し進むと(現一ッ谷)、右手に十六石の石碑があります。
これは武田信玄が晴信と称していた天文12〜13年ごろ行った治水工事の跡です。
釜無川の水害から村を守るための堤防の根固めに置かれた巨大な石が十六個だったため
この名があるそうです。

その巨大な石がどこへ行ってしまったかは、案内板に何も書いてありません。

                     (06/ 2/ 4 訪問)

(現地案内板より)

十六石の碑 これがそのうちのの一つかと?



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