織田信長の侵攻を迎え撃つため、武田勝頼が真田昌幸に築かせた新府城。 
                    甲州流の築城術がふんだんに取り入れられた堅固な城のように思えます。 
                    なぜ、この城で織田軍を迎え撃たなかったのか、結果論とは言え残念な思い 
                    があります。訪問した日、三日月堀には水が溜まっていました。 
                                                   (18/ 3/10 訪問) | 
                   
                
               
               
              
              
               
              
               
              
               
              
                
                  
                    
                    
                      
                        
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                          武 
                          田 
                          氏 
                          の 
                          系 
                          図 | 
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                          史 
                          跡 
                           
                          新 
                          府 
                          城 
                          跡 | 
                         
                      
                     
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                          | 普請奉行 | 
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                          真田安房守昌幸 原隼人佑貞親 | 
                         
                        
                          | 城  主 | 
                           | 
                          武田(諏訪)四郎勝頼 | 
                         
                      
                     
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              武田勝頼を祀る藤武神社(本丸跡にあります。) 
               
              
               
              
              
               
              
              
              
               
              
              
              
              
               
              
              
              
               
              
              
               
              
              
              
               
              
              
              
               
              
              
              
               
              
              
              
               
              
              
               
              
               
              
              
               
              
              
               
              
              
               
              
              
               
              
              
               
              
              
               
              
              
               
              
              
               
              
              
               
              
              
               
              
              
               
              
              
                
                  
                    新府城跡へ北の本丸から入り、南の三日月堀まで下って来ました。 
                    ここで北端に戻って、『東西出構え』について、記録します。 
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