幸田口門跡と土塁、堀跡 |
小田原城の北西角、お堀端通り沿いに、土塁がよく保存されています。
小田原古城とは離れた位置にありますが、
武田信玄、上杉謙信が小田原城を囲んだとき、幸田門から攻めたのだそうです。
この土塁は、江戸時代ものだという表記を見ましたが、
戦国時代からあったものを豊臣秀吉に攻められたときに再築され、
更に江戸時代にも再築されたのではないかと、私見として思っています。 |
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幸田口門跡記念碑 |
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土塁の上は通路になっています。
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側面から見た土塁跡 |
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お堀跡が残っています。
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(9)早川口遺構 |
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支跡小田原跡址早川口遺構は、後北条氏が
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めに
備えて造った大外郭(総構)の一部で、現在では
緑が豊かな公園として人々の憩いの場所と
なっています。
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北条氏が秀吉との合戦に備えて構築した総構えの遺構です。
保存状態がよくて、史跡公園となっています。 |
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(13)小田原古城 |
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案内板から見上げた小田原古城
見かけより高さがあります。 |
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古城があったと思われる場所に
小田原高校があります。 |
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小田原高校敷地内から発掘された井戸。
現在は保存のために埋め戻されています。 |
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井戸があった位置に、
ニセモノが作ってあります。 |
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