見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県諏訪市(1−1)

諏訪氏の滅亡となった桑原城の落城(四賀桑原)

桑原城は、諏訪総領家の本拠上原城の支城で、諏訪頼重が武田に降伏した城でもあります。
天文11年(1542)、晴信に攻められた頼重は、上原城に火を放ち、桑原城に退きました。
しかし、桑原城でも戦わずして降伏し、甲府に連行され、結局東光寺で自刃!

20号線を諏訪湖方面に走っていて、桑原に着いたころ、右手の山裾を見ていると、桑原城跡の看板が見えます。
07/ 5/ 4、桑原城跡に登ってみたのですが、お天気がよく、美しい諏訪湖が望め、堪能できました。
桑原城から、甲州街道(当時はそんな名前はなかったでしょうがーーー。)を
押し寄せてくる武田軍が良く見えて、これでは戦う意欲を失うだろうと思いました。

ゴールデン・ウィークで、お天気が良かったので、結構人がいました。
その中で、ガイドさんと思える人が案内しているグループがあって、私も聞かせていただいたのですが、
東曲輪や首塚の説明は、とても興味深いものがありました。
       (07/ 5/ 4訪問)




































(現地案内板より  以下も同じです。)



国道20号線から見る桑原城跡(頂上に)

ここは雨水を溜めた場所とか

東曲輪(振り返って)
終戦後、村の人が畑を作った跡だとも
首塚だと言われているが、真偽は不明


 二箇所見た空濠のうちの一つ
かなり埋まってしまっているがーー。

   二の丸跡から見た本丸跡
二の丸からは諏訪湖が見える。
 
 本丸跡(案内板の向こうに土塁が残る。)    本丸から見た甲州街道
武田軍が攻めて来るのが丸見え!

 
 諏訪湖が美しい二の丸跡    今は、人口過密の諏訪湖畔

諏訪頼重の菩提寺・頼重院(諏訪市四賀神戸)

東光寺には、頼重と弟の大祝頼高を祀る五輪塔が二基建っていますが、菩提寺として、頼重院が建設されて供養塔が作られました。
供養塔のそばに、諏訪家のお墓があり、高嶋藩の末裔の方々のお墓なのかと思いました。

供養塔の隣に頼重の怨念によって七つに割れたといわれる岩があり、頼重の無念やいかばかりと思われました。(07/ 5/ 4 訪問)

(現地案内板より)

木の香かおるような頼重院 諏訪市有形文化財頼重供養塔

頼重院のある諏訪市神戸は、国道20号線を
諏訪湖方向に走っていて、
茅野市を抜けて諏訪市に入ったところです。
頼重院は諏訪湖に向かって右側、
国道20号線より奥まったところにあります。


現在の頼重院は、再建されたものらしく、
建物は木の香かおると言えるほど新しく
ちょっとびっくりしました。

天文11年(1542)、晴信に攻められた頼重は、
上原城に火を放ち、桑原城に退きました。
しかし、桑原城でも戦わずして降伏し、
甲府に連行され、結局東光寺で自刃しました。
頼重の怨念によって七つに割れたという岩

  信玄の遺体を水葬にしたという伝説のある諏訪湖(諏訪市、岡谷市、下諏訪町)

諏訪湖は、諏訪市、下諏訪町、岡谷市に取り囲まれています。
諏訪湖には、信玄の遺体を水葬にしたという伝説があります。黒沢明監督の『影武者』では、そうなっていました。
それはそれとしても、なかなか神秘的な雰囲気のある湖です。           (08/ 1/28 訪問)

穂高連峰を望む。 左の写真の反対の湖岸より撮影ー左奥に八ヶ岳を望む。(岡谷市)

山下清の絵葉書より



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