江戸時代の諏訪藩の居城・高島城跡(高島1-20-1) | 
          
          
             
              
                
                  
                    武田家滅亡後、諏訪頼忠は旧領を復帰して、平城の金子城(諏訪市中洲)を築き、新しい拠点としました。 
                        しかし、1590年(天正18年)に武蔵国奈良梨に転封となり、代わって日根野高吉が 
                        茶臼山にあった旧高島城に入城し、その後、現在の地に新しい高島城を建築しました。 
                    日野根氏も、下野国壬生藩に転封となり、諏訪頼忠の子頼水が2万7千石で入封し、諏訪藩の初代となり、明治維新へと繋がりました。 
                   
                  諏訪藩は平城で、かつては諏訪湖に突き出した水城で『諏訪の浮城(すわのうきしろ)』と呼ばれていましたが、 
                    江戸時代初めに諏訪湖の干拓が行われ、水城の面影は失われました。今も本丸から湖に舟で出られた船着場の跡が残っています。 
                                                                            (13/ 2/24 訪問) | 
                   
                
               
               
              
              
                  
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                  諏訪湖を臨む高台から見た高島城。画面右端に天守閣、左端に隅櫓と内堀が見えます。 
                     
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                        上の写真の遠景。左端に高島城、右端に諏訪湖が見えます。 
                  お城から現在の諏訪湖畔まで約230m程埋め立てられました。 | 
                       
                    
                   
                   
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                  復元された天守閣 
                     
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                  凍ってしまった内堀と石垣 
                     
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                    高島城は本丸の残して埋め立てられて、一部は現在の諏訪市役所になっています。 
                  市役所のすぐ傍にある武道館のある場所は、かつては高島城の南の丸でした。 
                  ここは、寛永3年(1626年)には徳川家康六男の松平忠輝を預かったときに増設したもので、 
                  以降も南の丸は、幕府から預かった吉良義周などの流人の監禁場所となりました。 
                  (松平忠輝のお墓は市内貞松院(諏訪2-16-21)に、吉良義周のお墓は諏訪大社本宮の隣の法華寺にあります。) | 
                   
                
               
               
              
              
                
                  
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                    |  今は武道館が建つ南の丸 | 
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                          南の丸は堀で囲まれていて、                         唯一の通路が中央に見える参道橋でした。 | 
                         
                      
                     
                     
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                    参道橋の欄干に『松平忠輝公館』とあります。 
                     
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                          雪に埋もれた諏訪鉄平石でできた参道橋。 
                  橋の向こうには小さな神社があり、通行できません。 | 
                         
                      
                     
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              信玄縁の八剣山甲立寺と八剣神社(小和田13−18) | 
          
          
             
              
                
                  
                    教育委員会による案内板によると、八剣山甲立寺はもと高島にあり、八剣神社の別当寺で武田信玄が再興し、 
                        日根野高吉によって現在地に移され、代々高島藩藩主家の祈願所として帰依を受けたのだそうです。 
                        木造愛染明王座像が御本尊です。 
                        (別当寺:神仏習合が許されていた江戸時代以前に、神社を管理する ために置かれた寺のこと。) 
                                                                    (13/ 3/23 訪問) | 
                   
                
               
               
              
               
              
              
                  
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                  八剣山甲立寺の山門 
                   
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                  八剣山甲立寺の本堂 
                   
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                        八剣神社には、貴重な歴史資料が残っています。 
                        その中でも特筆するべきは、天和3年(1683)から明治5年までの諏訪湖御渡りの記録と 
                        武田信玄が川中島の合戦を始めた天文24年(1555)に社領を寄進し、 
                        武運長久を祈念したときの『武田晴信寄進状』です。 (13/ 3/23 訪問) | 
                       
                    
                   
                     
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                  八剣神社 
                     
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                  この近く枡形と思える地形があります。 | 
                 
              
             
               
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              中世諏訪氏の拠点だった旧高島城跡(茶臼山城跡) | 
          
          
               
              
                
                  
                    高嶋城というと、諏訪湖半にある城を思いがちですが、諏訪湖半の高嶋城は江戸時代になって築城されたもの。 武田氏時代の史跡とは言えません。旧高嶋城は、上諏訪駅の真東、茶臼山にありました。 
                  山と言っても現在はびっしり建物が建っており、厳しい地形の住宅地という感じです。 
                  迷路のような感じの道を登っていくと風林火山の旗が見えて、右側に子供たちの遊び場、 
                    更に進むと何棟かの2階建ての集合住宅があって、かつて旧高嶋城があった旨の案内板に出会えました。 
                  この案内板以外、かつてお城があったという遺構は何もありません。 
                  今は、建物や木が視界を遮っていますが、かつては諏訪湖を望む絶景の場所だったと思えます。 
                  
                    
                  案内板によると、高嶋城の名が初めて歴史に登場するのは、1473年のこと。 
                    天文18年(1549)に、すでに諏訪を領有していた晴信が、上原城から旧高嶋城へ諏訪領有の本拠地を移動させたとあります。 
                    また、天正10年(1582)、武田勝頼、織田信長が死亡すると、諏訪頼重の従兄弟の頼忠は、旧諏訪領を回復し、 
                    金子城に移動するまでこの旧高嶋城に居住したそうです。                  (07/ 5/ 4 訪問)  | 
                   
                
               
               
              
            
              
                  
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                     この案内板のみ 
                     
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                  史跡らしきものは何も残っていません。 | 
                 
                
             
            
               
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