上田城は、天正11年(1583)に真田幸隆の子真田昌幸が築城しました。
二度に亘る徳川軍の猛攻にも落ちなかった名城です。
関ヶ原の戦いに参陣する徳川秀忠は、途中上田城を攻めたのですが、落とせず、時間をくい
家康からこっぴどく叱られた話は有名です。
天正11年と言えば、武田家が滅亡して、織田信長も死んだ翌年です。
真田家がいかに生き残るか、難しい局面にあったときですから、上田城築城の意味は大きいです。
昌幸は、上田城で合戦するときのために、工夫をこらしたことが想像できます。
その1つが、今も残る真田井戸。城中から約5km離れた太郎山へ抜ける地下道となっています。
大阪の陣の後、上田城は破却されてしまいました。
上田城城主となった真田信幸は、徳川幕府に気を遣い、破却された上田城を再建することなく
三の丸に屋敷を建てて、妻の小松姫と暮らしました。
その後、真田氏は松代(海津城)に移封され、上田城は仙石氏、松平氏の居城として幕末を迎えます。
その後城主となった仙石氏によって、大改修されました。
現在の上田城は、真田の城というよりは、大改修後のものですが、あちこちに、真田昌幸の築城技術が残っています。
(07/ 9/15 訪問) |
上田城は詳しくは見てなかったのですが、やっと念願かなって二度目の訪問ができました。
雨の中、あまりゆっくり出来なかったのですが、案内板を読みながら色々学ぶことができました。
(21/ 7/ 9 訪問) |
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復元された東虎口櫓門
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南櫓 |
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東虎口櫓門
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直径3mの真田石
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真田神社
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本丸
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本丸堀 |
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真田井戸
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初期の城郭が残っている西櫓
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尼ヶ淵から見上げる西櫓 |
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西櫓の前にある真田信繁の像 |
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本丸土塁の隅おとし |
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手堀りの堀と土塁
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本丸土塁の墨おとしは、北東の方向を『鬼門除け』として切り込んだものです。
真田昌幸による築城の、特徴と言えるそうです。 |
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