見て歩く甲斐武田氏の史跡ー山梨県甲州市大和

武田勝頼から離叛した家臣が殺されたところ

国道20号線で勝沼から大和村に入ると、洞門があります。その洞門を越えて少し進むと、東京に向かって左側に『鞍懸』の標識があり、
続いて150mほど進むと左側に『血洗い沢』の標識があります。


武田の家臣団に跡部大炊助、長坂長閑斎という人がいました。
信長に攻められた武田勝頼から離反して逃亡中を、同じく武田家臣の土屋惣三が追いかけ、2人を殺害したといわれるところ。

鞍懸の地は、桜木の鞍懸と言われています。土屋惣三が跡部大炊助を追いかけて斬りつけたところ。
跡部大炊助は落馬して、鞍が桜の木にひっかかったことから鞍懸と呼ばれているそうです。

血洗沢は、今は沢には見えないのですが、当時は沢があって、このときの戦闘で血に汚れた刀を洗ったのだそうです。

大和村教育委員会のお電話して、教えていただきました。

この2人の最期については、別説もあるようです。
長坂長閑斎は、一条信竜屋敷で信長軍に殺されたとも、側近として近従して、勝頼を追って自害しとも言われています。
跡部大炊助は、諏訪にて戦死したとも、天目山で殉死したとも言われています。         (05/ 5/10 訪問)


武田勝頼の銅像

大和村田野は武田氏滅亡の地。JR甲斐大和駅の近くに武田勝頼の銅像があります。
美人の誉れ高かった母諏訪御料人に似ていたそうで、なかなかハンサムです。

余談になりますが、現在の甲斐大和駅はかつては初鹿野と言いました。『はじかの』と読みます。
私の知り合いに『初鹿野さん』という方がいて、初めてお会いしたとき「はつかのです。」と自己紹介なさいました。


珍しいお名前なので、先日お会いしたときに、『はつかのさん』なのか『はじかのさん』なのか伺ってみました。
戸籍では『はじかの』なのだけれど、通称『はつかの』で通しているとのこと。
更に伺ってみると、武田家の家臣であった初鹿野氏の末裔だそうです。
その方のお父さんが初鹿野(今も地名は残っています。)のご出身だということで
ご本人は、初鹿野のことをあまりご存知ではありませんでした。

ご先祖だということで、大河ドラマの『武田信玄』を見たけれど、すぐに切られてしまったと話しておられました。

                                  (05/ 6/ 1 訪問)


栖雲寺(武田の赤旗のあるところ)

実戦軍配
まだ行ったことがない栖雲寺

とりあえず、転載許可をいただいた
甲州市発行『甲州市探訪ダイジェスト版』にある
画像を、アップロードさせていただきます。
武田の赤旗



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