| 烏頭坂 島津豊久碑 |
| ここは、養老郡上石津町大字牧田地内の烏頭坂というところであるが、関ヶ原合戦の際午後3時頃西軍は、ほとんど総くずれと |
| なったので最後まで頑張った島津勢も遂に敵中突破して、ここまで来たが、東軍の松平忠吉、井伊直政、本多忠勝が激しく追撃し |
| て来たので、島津義弘の甥島津豊久が、ここで頑強にくいとめた。その間に島津勢は、多〇時を経て、後鹿児島へ帰ることができ |
| た。豊久の生死は不明であるが、古跡保存会の手により此の地に豊久の碑を建てたのである。一説には豊久は多良まで落ちの |
| びたが、手傷が重いため自害してしまったともいう。 関ヶ原観光協会 |