見て歩く日本の城と史跡ー岐阜県大垣市

関ヶ原合戦・島津の退き口・烏頭坂(上石津町牧田741)

関ヶ原の合戦の中でも、特筆するべきは『島津の退き口』です。
逃げる島津隊と追撃する井伊、松平、本多隊の死闘が繰り広げられた烏頭坂には、
いつか行きたいと思っていましたが、念願叶ってやっと『島津豊久の碑』の前に立つことができました。
島津豊久は、義弘の弟の息子です。島津豊久が亡くなった場所は不明とのことですが、無事伯父で
ある島津義弘を薩摩に送り返した豊久には、心からの敬意を表しました。 (19/ 9/17 訪問)

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(現地案内板より 以下も同じです。)

島津義弘の撤退路は、伊勢街道を南下し、 @勝地峠から五僧越えで近江へ
A駒野峠を越えてから五僧越えで近江へ
B駒野峠を越えて伊勢方面へ と諸説ある。


烏頭坂  島津豊久碑
 ここは、養老郡上石津町大字牧田地内の烏頭坂というところであるが、関ヶ原合戦の際午後3時頃西軍は、ほとんど総くずれと
なったので最後まで頑張った島津勢も遂に敵中突破して、ここまで来たが、東軍の松平忠吉、井伊直政、本多忠勝が激しく追撃し
て来たので、島津義弘の甥島津豊久が、ここで頑強にくいとめた。その間に島津勢は、多〇時を経て、後鹿児島へ帰ることができ
た。豊久の生死は不明であるが、古跡保存会の手により此の地に豊久の碑を建てたのである。一説には豊久は多良まで落ちの
びたが、手傷が重いため自害してしまったともいう。                       関ヶ原観光協会

島津中務大輔豊久之碑

自動車道の脇に旧道が保存されています。


鹿児島県から贈られた『薩摩ベンチ』心温まるお話です。



白拍子谷 岐阜県大垣市上石津町上多良2045−1
瑠璃光寺 岐阜県大垣市上石津町上多良960

白拍子谷

瑠璃光禅寺 五輪塔の『島津塚』でしょうか?

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