見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県茅野市(大門街道沿い)(1)

音無川(大門街道)の名前の由来(北山)

武田信玄が上杉謙信と戦うべく川中島に向かう途中、
ここ大門街道で軍議を開いたところ、なかなか意見がまとまりませでした。
大門街道沿いを流れている川音が煩いので、信玄が「うるさい。静まれ。」と
どなったところ、川音がぴたりと止まり、作戦会議も意見がまとまりました。
それから、この川を音無川と呼ぶようになったという言い伝えがあるそうです。


大門峠より信州側には、もう1つ言い伝えがあります。武田信玄が村上、
小笠原の連合軍と戦った大門峠の戦いのときのこと。
川の音が煩くて信玄の命を兵士達は聞き取れず苦戦していたとき、
信玄は蓼科山の神に、川の音を静めてくれるように頼みました。
すると、川はぴたりと音がしなくなり、信玄は勝つことができたとか。 (07/ 8/30 訪問)

(現地案内板より)
音無川

信玄の御座岩(北山・白樺湖畔)

2009/09/06 に、原村主催の『棒道を往く』という講座がありました。
私もそれに参加したのですが、詳しいことを教えていただいて、とても参考になりました。
そのときの画像です。

大門峠白樺湖畔に、『信玄の御座岩』があります。
これは、佐久、小県、北信濃の攻略の折、あるいは諏訪からの軍の合流を待った折などに
腰掛けたと言われる岩です。白樺湖は人造湖なので、場合によっては湖に消えたことも考えられ
るのですが、無事残ってよかったという感慨を持って眺めました。   (09/ 9/14 訪問)















(現地案内板より)

左の石碑には、『池ノ平御座岩遺跡』と彫ってあります。

茅野市作成の看板 御座岩の背面

大門峠の合戦(北山・大門峠付近)

大門峠の合戦(武田晴信vs小笠原、村上の連合軍)が本当にあったかどうかは、疑問視されています。
武田軍は不法にも信濃に攻め入ったと言われることを嫌って、
『あたかも小笠原、村上の連合軍が先に武田軍を攻略しようとした』という話を作り上げたという説もあるそうです。

合戦跡がどこであったかも残っていませんし、本当のところはよく分かりません。
いずれにしても、大門峠は武田軍にとっての信濃攻略の要所だったと思われます。    (09/09/06 訪問)

御座岩を背にして 大門峠

信玄の隠し湯(北山)

  [石遊の湯(いしやすのゆ)](北山5490-5)
平安時代初期坂上田村麻呂が発見し、後に武田信玄の隠し湯であったという
言い伝えが残っています。
        (14/ 3/ 6 訪問)

   [親湯と大滝](北山4035)
信玄の隠し湯は、あちこちにあったようですが、『親湯』も その一つだそうです。
日帰り入浴はできないので、外観の写真を撮りました。
近くを信玄の上の棒道が通っていたという
案内板がありました。
地理的に見て、
ここを棒道が通っていたというのは、
ちょっと疑問なのですが、
茅野市が作った案内板なので、
間違いということはないでしょう。

『親湯』の前を
滝の湯川が流れているのですが、
少し下ったところにある『大滝』は、
信玄が滝に打たれて軍略を練った
という伝説があります。
                (09/ 7/12 訪問)
ホテル親湯
画面左下、滝の湯川が見えます。

信玄が滝に打たれて
軍略を練ったと言われる大滝


大滝の滝壷
ホテル『親湯』近くの棒道案内板


大門街道は、長和町に続きます


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