見て歩く甲斐武田氏の史跡ー韮崎市(3−2)

甘利氏の館跡・甘利山大輪寺(旭町上條北割宮下)

甘利氏は、武田家の始祖武田信義の嫡子一条忠頼が次子行忠をここ甘利庄に封じられたことにより
起こった名家です。甘利行忠は、現在の大輪寺付近を居館とし、
大輪寺の西方2kmのところに要害城として、扇子平山城を築いたと言われています。

甘利氏の中では、武田信虎・信玄時代の甘利虎泰が有名ですが、
虎泰が上田原の合戦で戦死した後、跡を継いだ昌忠も武田信玄の奥近習六人衆として活躍しました。

甘利山大輪寺は、甘利昌忠が居館跡に開基したもので、
寺の周囲には、北門、的場、大庭、大堀等の居館の一部であった名前が、地名として残っています。

お寺の本堂の屋根は、茅葺であったのを昭和6年に瓦に葺き替えたとのことです。
瓦には、橘の紋と流れ三つ巴の紋がありましたが、甘利氏の花菱の紋は見つかりませんでした。
                                  (08/ 6/19 訪問)

(現地案内板より)

お寺所有の門前の田んぼ

昭和6年に屋根を瓦に葺き替えた本堂
橘の紋 日蓮宗橘の紋
反射光でよく見えません。
流三巴の紋

元禄時代に出来たという鐘楼 明治時代に出来たという甘利昌の墓所

レンゲツツジの名所甘利山 (旭町上條北割)

レンゲツツジで有名な甘利山は、元々は深草山と呼ばれていました。
甘利虎泰の嫡男甘利昌忠が、山中にある椹池(さわらいけ)の毒蛇を退治した功績により、
甘利の庄の民にこの山が与えられて、永世課役が免除されました。
武田家の重臣として、武田家を支えた虎泰の影に隠れて、余り名前を知られていない昌忠ですが、
なかなかの活躍だったのだと、最近知りました。

因みに、甘利昌忠の初陣は、天文16年(1547)の碓氷峠の合戦(武田vs上杉)で、
武蔵松山城攻め、桔梗原合戦でも功があったと言われています。
何時死んだかについては諸説あって、
(1)永禄7年(1564)、落馬により死亡。
(2)元亀3年(1573)の三方ヶ原の戦いで武功を挙げるが、その直後の病死。
(3)天正3年(1575)の長篠の合戦で討死。
跡は、昌忠の弟信康が継ぎました。

現在は、レンゲツツジの名所となり、シーズンの土・日には駐車場が一杯になってしまいます。
途中、椹池はキャンプ場になっていましたが、寄らずに真っ直ぐ駐車場を目指しました。
                                  (08/ 6/16 訪問)

山頂から見る韮崎方面

甘利山山頂・1731m
レンゲツツジ
甘利山山頂から見る富士山

ニガイチゴの花 ウマノアシガタ

甘利氏の詰め城

私は主に山城に興味があり、あちこち(県外も)の山城を探索しているのですが、
地元の甘利氏の詰め城に関してPCで調べたら、1件しかヒットしませんで、、、
どこか良く解りませんで、気になっていたのですがそのままでした。

しかし、冬は山に登りやすいので、一念発起して藪こぎを覚悟で甘利氏館跡の西の山に目星を付けて登って
みたところ、なんと道から15分くらいで狼煙台が、そしてそこからまた15分ほどで本丸がありました。

狼煙台には狼煙台の看板が、本丸には本丸の看板と「扇子平山城跡」の石碑もありました。
(猟をしていた親父や友人や近所の人に聞いても誰も知りませんでした)
南北は崖状で、西東にはそれぞれ馬の背状の切り立った尾根があり、名前通り扇子を広げて立てたような
地形で、その中央が平で、地形的に山城として非常に素晴らしい山城跡でした。
                             
(10/ 1/16 若おじさん投稿)

山本勘助の供養塔がある宗泉院(円野町上円井)

武川と韮崎のほぼ境界地韮崎市円野町に
山本勘助の供養塔があると聞いて行ってきました。

宗泉院というお寺がそれで、
かつて武川衆の円井氏の知行地だったところで
円井氏のお墓もありました。

円井氏の知行地の近くが山本勘助の知行地だった
という説もあるそうです。

山本勘助の知行地は、北杜市高根町だったという
説もあって、高根町にある山本家には、
勘助のお墓と位牌があります。
勘助の存在を疑問視する意見もあるようですが、
勘助の知行地に関しても諸説あるのだと知りました。


円野町上円井には、勘助の供養塔が残っていて、
勘助の末裔の山本姓の人々が
今も住んでいる地域が

宗泉院の近くにあるそうです。(08/ 1/26 訪問)
宗泉院
高根町の山本家では、勘助の子供は4人いたというお話でしたが、
ここ宗泉院では、子供はなく大河ドラマ風林火山と同じく養子を貰ったと聞きました。
宗泉院にある供養塔は、詳しくは『山本勘助父子を供養する石祠』というんだそうです。
勘助の息子は、長篠の合戦で討ち死にしたと聞いたことがあります。

因みに、武川衆円井氏の末裔は、現在千葉県にお住まいだそうです。

割菱のように見えます。
武川衆円井氏のお墓 山本勘助父子を供養する石祠



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